記憶をすべて失っても、あなたは「あなた」なのか――SCP-3000と人間を消していく海蛇

奇妙な記録
そうめん
そうめん

600キロのウツボ?

司書
司書

推定では、600から900キロです。

そうめん
そうめん

いやデカすぎるだろ。そんなの見つけたら終わりじゃん。

司書
司書

大きさだけなら、まだ分かりやすかったんです。

そうめん
そうめん

もっと嫌なのあるの?

司書
司書

近づくと、自分の記憶が壊れていきます。

自分が自分であることを、何によって証明できるだろう。名前。家族。仕事。好きだったもの。子どもの頃の出来事。昨日まで積み重ねてきた無数の記憶。私たちは、それらをひとまとめにして「自分」と呼んでいる。

では、その記憶が少しずつ失われたらどうなるのか。母親の顔が思い出せない。妻や娘の名前が分からない。自分が何のために生きてきたのかさえ曖昧になる。それでも身体が残っているなら、その人は以前と同じ人なのだろうか。

SCP Foundationで公開されている創作作品、SCP-3000「Anantashesha」。ベンガル湾の暗い海底に横たわる巨大生物の記録だが、その本当の恐ろしさは大きさではない。近づいた人間から、その人を形作っているものを少しずつ奪っていくことにある。

海底に横たわる、600キロを超えるもの

SCP-3000は、巨大なウツボに似た水棲生物である。全長を正確に測定することはできていないが、財団はおよそ600〜900キロと推定している。頭部だけで直径約2.5メートル、胴体には直径10メートルほどに達する部分もある。

その大部分はベンガル湾のガンジス海底扇状地周辺に横たわっており、普段はほとんど動かない。1971年、バングラデシュの漁船2隻と漁師15人が行方不明になった事件をきっかけに、財団が海中を調査して発見した。現在は周囲約300キロの海域が監視され、民間人による潜水や深海探査は禁止されている。

これほど巨大でありながら、SCP-3000は積極的に海を泳ぎ回るわけではない。しかし獲物を捕食するときには素早く動くことができる。そして人間にとって本当に危険なのは、噛みつかれることよりも先に始まる。

近づくだけで、記憶が壊れる

SCP-3000は、Class VIIIに分類される強力な認識災害を引き起こす。直接観察した人間や、その周辺にいる人間には頭痛、強い不安、恐怖、被害妄想、そして記憶の喪失や改変が発生する。どこまで近づけば影響を受けるのか、その正確な距離さえ分かっていない。

初期調査では、潜水艇が海底へ降下するにつれて乗員たちの様子がおかしくなった。任務の内容を忘れ、同僚を別人の名前で呼び、自分が何をしているのか分からなくなる。やがてSCP-3000の頭部へ近づいた一人は激しく錯乱し、潜水艇の窓へ何度も自分の顔を叩きつけた。

彼が死ぬ直前に繰り返したのは、「何もない」という言葉だった。財団が相手にしているものは、巨大生物であると同時に、人間の意識そのものへ干渉する何かだった。[oai_citation:1‡The SCP Foundation](https://scp-wiki.wikidot.com/scp-3000)

そうめん
そうめん

記憶喪失って、忘れるだけじゃないの?

司書
司書

名前を一つ忘れる程度なら、そう言えるかもしれません。

そうめん
そうめん

でも全部なくなったら?

司書
司書

そこからが、この記録の中心です。

自分の母親の顔が分からない

SCP-3000の研究に関わった人物の一人、Venkat Krishnamoorthy博士も影響を受けていく。彼は会話の中で、自分の母親の声は覚えているのに、顔や匂いを思い出せなくなったと語る。

それでも、母親から聞かされたある話だけは残っていた。ヒンドゥー教に登場する蛇、アナンタシェーシャ。宇宙の終わりを越え、すべての光が消えたあとにも残り続ける存在である。

Krishnamoorthy博士は、SCP-3000こそアナンタシェーシャなのではないかと考えるようになる。そして、自分が死んだあと誰にも覚えられなくなること、自分の人生が何の痕跡も残さず消えていくことへの恐怖を口にした。

やがて彼は、自らSCP-3000のもとへ向かう。そこに永遠へつながる何かを見たのか、それとも認識災害によって判断そのものを壊されていたのか。原典は明確な答えを与えない。

怪物が吐き出す「忘却」

SCP-3000が人間を捕食すると、その身体から粘性のある暗灰色の物質が分泌される。財団はこれをY-909と呼んでいる。生の状態では極めて有害で、長時間接触するとSCP-3000そのものと同様に、被害妄想、記憶喪失、自殺念慮などを引き起こす。

ところが財団は、このY-909を精製する方法を確立した。精製された物質から作られるのは、財団が使用する強力な記憶処理薬――アムネスティクスである。SCP-3000はそのためThaumielクラスに指定され、財団自身の活動を支える資源として利用されている。[oai_citation:2‡The SCP Foundation](https://scp-wiki.wikidot.com/scp-3000)

つまり財団は、人間の記憶を壊す巨大生物から物質を回収し、それを使って別の人間の記憶を意図的に消している。

その回収作業が「Atzak Protocol」だ。財団の潜水艦SCPF EremitaはSCP-3000の近くへ配置され、危険な認識災害へ曝されながらY-909を回収し続けている。

そうめん
そうめん

待て待て。じゃあ財団が記憶消すときに使ってる薬って……。

司書
司書

少なくともこの記録では、SCP-3000から得た物質が重要な原料になっています。

そうめん
そうめん

どうやって出させるんだよ。

司書
司書

SCP-3000は、獲物を食べたときに多く分泌します。

そうめん
そうめん

……ああ。聞かなきゃよかった。

忘れたことさえ、忘れていく

SCP-3000の影響で特に恐ろしいのは、「何かを忘れた」と自覚できなくなっていくことだ。鍵をどこへ置いたか忘れたなら、私たちは忘れたことを認識できる。しかし自分の人生を構成する記憶そのものが欠落していけば、その穴が以前は何で埋まっていたのかさえ分からなくなる。

研究を引き継いだAnand Mannava博士も、少しずつ自分の人生を失っていく。ある日、妻と娘と一緒に写った写真を落とし、その裏側に「Anand, Shanti, and Padma. June, 2002」と書かれていることに気づく。その文字は自分ではなく、Krishnamoorthy博士が残したものだった。

つまり、かつての同僚はMannava博士自身が忘れてしまう未来を予想し、写真に家族の名前を書き残していたことになる。それでも記憶の崩壊を止めることはできなかった。

Mannava博士は最後の記録で、自分自身の人生を忘れてしまったことに気づく。そして、もし自分でさえ自分を覚えていられないのなら、他人に覚えてもらうことなど期待できるのかと問いかける。[oai_citation:3‡The SCP Foundation](https://scp-wiki.wikidot.com/scp-3000?utm_source=chatgpt.com)

記憶がなくなっても、人間は残るのか

ここからは、原典に明確な答えのない部分を考えてみたい。人間の身体は常に変化している。それでも昨日の自分と今日の自分を同じ人物だと思えるのは、過去から続く記憶があるからだ。

子どもの頃の経験があるから好き嫌いが生まれ、誰かとの思い出があるから愛情や後悔が残る。成功も失敗も、自分が選んできたことも、その積み重ねによって人格は作られていく。

SCP-3000は身体を一瞬で消すわけではない。その代わり、そこに積み重なったものを少しずつ剥がしていく。家族を忘れ、過去を忘れ、自分が何者だったのかを忘れる。それでも心臓は動き、名前だけは記録に残っている。

では、その時点で残っている人間は、以前と同じ人物なのだろうか。

人間が記憶の集合体でもあるのなら、「忘れる」という現象は小さな消滅なのかもしれない。

財団もまた、人間を「消している」

さらに皮肉なのは、財団自身が記憶処理を必要としていることだ。異常な存在を目撃した一般人から記憶を消す。機密を知った人間から情報を取り除く。それによって「正常な世界」を維持する。

そのための薬が、人間の記憶を破壊するSCP-3000から得られている。怪物と財団は正反対に見えて、どちらも人間から記憶を奪う。違うのは、それを無秩序に行うか、目的を持って行うかだけだ。

もちろん財団にとっては必要な手段なのだろう。しかし消される側から見れば、「必要だから」という理由で失った記憶も、SCP-3000によって失った記憶も、戻らないことに変わりはない。

この巨大な海蛇がThaumiel――財団にとって有用な異常存在として分類されていること自体が、SCP-3000という記録の嫌な部分を象徴している。

海蛇は、終わりではない

Mannava博士は最後に、SCP-3000が本当に神話のアナンタシェーシャなのかどうかは、もう重要ではないと考えるようになる。ただの巨大な生物かもしれない。太古から存在する神なのかもしれない。それを証明したところで、自分の記憶は戻らない。

彼が辿り着いたのは、もっと単純で救いのない考えだった。SCP-3000が世界の終わりをもたらすのではない。

SCP-3000は、終わったあとに何が残るのかを見せているだけなのではないか。

人間はいずれ死ぬ。名前も忘れられる。残したものも、十分に長い時間が経てば消えていく。SCP-3000の前では、その遠い未来が一人の人間の頭の中で先に起きる。

母親の顔が消える。家族の名前が消える。自分の人生が消える。そして最後には、自分が何を失ったのかさえ分からなくなる。

海底には今も、600キロを超える何かが横たわっている。

財団はそれを監視しながら、今日も「忘れるための薬」を作り続けている。

そうめん
そうめん

俺だったら、忘れたくないな。

司書
司書

何をです?

そうめん
そうめん

全部だよ。嫌だったことも含めて。

司書
司書

なぜでしょう。

そうめん
そうめん

だって、それがなくなったら……今の俺がどうやってできたのか分かんなくなるじゃん。

司書
司書

そうですね。

そうめん
そうめん

記憶って、思い出だけじゃないんだな。

司書
司書

ええ。もしかすると――

司書
司書

私たちが自分を「自分」だと思うための、最後の記録なのかもしれません。

司書
司書

今夜の記録はここまでです。

司書
司書

また次の資料でお会いしましょう。

資料・出典

SCP-3000「Anantashesha」は、A Random Day氏、djkaktus氏、Joreth氏によってSCP Foundationで公開されている共同創作作品です。原典では、ベンガル湾に存在する全長約600〜900キロと推定される巨大な水棲生物として記録されています。接近した人間には強い認識災害が発生し、恐怖、被害妄想、記憶の喪失・改変などを引き起こします。また捕食時に分泌されるY-909は、精製することで財団が使用する強力な記憶処理薬の材料になります。本記事では原典の記録と考察を分け、「記憶を失っても人間は同じ人間であり続けるのか」という視点から整理しています。SCP-3000およびSCP Foundationに関する記述は創作上の設定です。

原典:SCP-3000 — Anantashesha / A Random Day・djkaktus・Joreth(SCP Foundation、CC BY-SA 3.0)

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