あの頃、ドラゴンは本当にいた――SCP-1762と「子どもの頃に見えていた世界」

奇妙な記録
そうめん
そうめん

子どもの頃ってさ、本気で「もしかしたらいるかも」って思ってたもの、なかった?

司書
司書

そうですね。幽霊でも、妖怪でも、ドラゴンでも。大人には見えない何かを信じていた人は、少なくないでしょう。

そうめん
そうめん

でも、いつの間にかそういうの考えなくなるよな。

司書
司書

では、いつからでしょう。

そうめん
そうめん

え?

司書
司書

あなたが最後に、「この世界には本当にドラゴンがいるかもしれない」と思った日は、いつでしたか?

おそらく、正確には思い出せない。

子どもの頃には、確かにあったはずなのだ。

押し入れの奥には何かがいるかもしれない。

森の向こうには、まだ知らない世界があるかもしれない。

夜空を見上げれば、物語の中にしかいない生き物がどこかを飛んでいるかもしれない。

もちろん、本当に見たわけではない。

それでも「絶対にいない」と言い切る必要もなかった。

世界には、自分の知らないものがたくさんあったからだ。

だが、いつの間にか変わる。

森は地図の中に収まり、夜空の向こうに何があるのかを知り、物語と現実の境界を覚える。

そして気づけば、ドラゴンは「いるかもしれないもの」ではなく、最初から「いないもの」になっている。

それを、私たちは成長と呼ぶ。

では。

大人になるということは、見えていた世界を一つずつ失っていくことでもあるのだろうか。

そんなことを考えさせる、少し悲しい創作がある。

SCP-1762――「Where The Dragons Went」。

そうめん
そうめん

ドラゴンがいた場所……?

司書
司書

ええ。小さな箱と、そこからやって来るドラゴンたちの記録です。

そうめん
そうめん

珍しく、かわいい話っぽいな。

司書
司書

最初は、そう見えるかもしれません。

「HERE BE DRAGONS」と書かれた箱

SCP-1762は、共同創作サイト「SCP Foundation」で公開されている創作作品だ。

財団が保管する異常物品は、一見すると何の変哲もない段ボール箱だった。

その側面には、手書きでこう記されている。

「HERE BE DRAGONS」

「ここにドラゴンあり」。

やがて箱から霧が流れ出し、その中から小さな生き物が現れる。

紙で折られたような、小さなドラゴンたちだ。

彼らは箱から出てくると、周囲を飛び回る。

人間に敵意を向けるわけでもない。

むしろ、人と遊ぶような行動さえ見せる。

危険な怪物を閉じ込めた箱ではない。

そこには、まるで子どもの空想から抜け出してきたような光景があった。

箱の向こうには、別の世界があった

しかし、この箱は単に紙のドラゴンを生み出しているわけではない。

その向こうには、彼らが暮らす別の世界が存在していることが示されていく。

そこにはドラゴンだけではなく、さまざまな幻想的存在が暮らしている。

彼らにとって、こちらの世界はまったく別の場所だった。

二つの世界は箱を通してつながり、交流していた。

考えてみれば、これは子どもの頃に想像した世界そのものに近い。

机の引き出しの向こう。

押し入れの奥。

古い箱の中。

ほんの少しだけ現実の隙間を開けば、その向こうに別の世界がある。

大人になれば「そんなものはない」と分かる。

だが子どもの頃は、その扉を完全には閉じていなかった。

ドラゴンたちは、少しずつ来なくなる

SCP-1762の記録は、いつまでも穏やかなままではない。

やがて、箱の状態に変化が現れる。

ドラゴンたちの訪問にも異変が起こり始める。

向こう側の世界で何かが起きている。

以前のような交流は続かなくなり、箱から届くものも変わっていく。

そして最後には、かつて書かれていた言葉さえ変わる。

「HERE BE DRAGONS」だった場所に残されるのは、もうドラゴンがいることを知らせる言葉ではない。

彼らが、もうそこにはいないことを伝える言葉だ。

この変化が、SCP-1762という作品を単なる「かわいいドラゴンのSCP」で終わらせない。

最初に存在していた世界が、少しずつ遠ざかっていく。

そして最後には、戻れなくなる。

その流れは、どこか人が大人になっていく過程にも似ている。

子どもの頃の世界は、どこへ行ったのか

子どもと大人では、同じ場所を見ても見えているものが違うことがある。

公園の小さな林。

大人から見れば、ただの木々だ。

だが子どもにとっては、探検する森になれる。

段ボール箱。

大人には荷物を入れる箱でも、子どもには秘密基地にも宇宙船にもなる。

毛布を机にかければ、その下に別の国を作ることさえできる。

もちろん、本当に森が広がったわけでも、宇宙船が完成したわけでもない。

変わったのは、そこを見る人間の側だ。

では、その世界は偽物だったのだろうか。

現実には存在しなかった。

それでも、その場所で感じた興奮や恐怖や楽しさまで偽物だったわけではない。

存在しなかった世界で、本物の記憶を作ることはできる。

そうめん
そうめん

言われてみれば、子どもの頃の秘密基地とか本気だったもんな。今見たらただの狭い場所なのに。

司書
司書

場所そのものが変わったわけではありません。

そうめん
そうめん

こっちが変わったのか。

司書
司書

ええ。だから、失ったことに気づきにくいのでしょう。

私たちは、いつ「いない」と決めたのか

子どもは成長するにつれて、世界について多くのことを知る。

知らなかった場所の名前を知る。

自然現象の仕組みを知る。

物語は誰かが作ったものだと知る。

それは決して悪いことではない。

知識が増えることで、以前より深く世界を見ることもできる。

だが、知ることによって閉じる扉もある。

雷には理由がある。

暗闇の向こうにも普通の部屋が続いている。

地図の空白には、すでに名前がついている。

ドラゴンはいない。

一つずつ世界を説明できるようになるたび、「もしかしたら」が減っていく。

では私たちは、いつドラゴンがいないと決めたのだろう。

何歳の誕生日だったのか。

誰かに教えられたのか。

それとも、ある日ただ考えなくなっただけなのか。

おそらく多くの場合、その瞬間は記録されていない。

大切だった世界は、別れを告げずに消えていく。

想像できなくなることが、大人になることなのか

大人になると、現実を見ることを求められる。

時間を守る。

仕事をする。

お金を管理する。

責任を持つ。

そこに想像力が入り込む余地は、子どもの頃より少なくなる。

だが、大人になることと想像できなくなることは、本当に同じなのだろうか。

私たちは今でも小説を読む。

映画を見る。

ゲームの世界を歩く。

怪談を聞いて、存在しないはずのものを少し怖がる。

そして、こうして「ドラゴンのいる箱」の話を読む。

本当に想像力を失ったのなら、私たちは物語を必要としないはずだ。

それでも人は、何千年も物語を作り続けている。

もしかすると大人になって消えるのは、想像する力そのものではない。

想像した世界を、一瞬だけ本物として受け入れることのできる時間なのかもしれない。

失ったものは、本当に消えているのか

昔好きだったものを思い出してほしい。

何度も読んだ本。

擦り切れるほど遊んだ玩具。

毎週楽しみにしていた番組。

意味もなく集めていたもの。

自分だけが知っていた遊び。

今では、ほとんど触れなくなったものもあるだろう。

それらは、ある日突然嫌いになったわけではない。

ただ少しずつ、生活の外側へ移動していった。

気づけば何年も思い出していない。

だが、完全に消えたわけでもない。

昔の曲を偶然聞いたとき。

古い玩具を見つけたとき。

子どもの頃に読んだ本の表紙を見たとき。

突然、その頃の空気まで戻ってくることがある。

忘れていたはずなのに、なくなってはいなかった。

だとすれば、子どもの頃に見えていた世界も同じなのかもしれない。

もう住むことはできない。

だが、どこかには残っている。

物語は、失った世界への入口なのかもしれない

SCP-1762そのものも、もちろん現実の記録ではない。

誰かが作った物語だ。

紙のドラゴンが箱から飛び出してくることも、箱の向こうに幻想世界があることも、創作として描かれている。

だが、それを知っていても私たちは読むことができる。

そして、ドラゴンたちがいなくなることを寂しいと思うことができる。

存在しないものの別れを、悲しむことができる。

それは少し不思議だ。

同時に、それこそが物語の役割の一つなのかもしれない。

現実ではもう開けなくなった扉を、ほんの少しだけ開く。

大人になった自分に、かつて世界を違う形で見ていたことを思い出させる。

物語を読んでいるあいだだけ、ドラゴンはもう一度存在できる。

そうめん
そうめん

じゃあさ、大人になってもこういう話を楽しめるなら、全部なくなったわけじゃないのか。

司書
司書

そうかもしれません。見えなくなったことと、失ったことは同じではありませんから。

あの頃、ドラゴンは本当にいた

子どもの頃に想像したドラゴンは、現実には存在しなかった。

それは大人になった今なら分かる。

けれど。

そのドラゴンを探した時間。

物語を読んで胸を躍らせた夜。

ただの段ボール箱を、別の世界への入口に変えられた午後。

それらは確かに存在した。

ならば少なくとも、その頃の自分にとっては。

ドラゴンは、本当にいた。

SCP-1762に残された箱が寂しく見えるのは、ドラゴンがいなくなったからだけではないのかもしれない。

私たち自身にも、かつて似たような箱があったことを思い出すからだ。

いつの間にか開けなくなった、小さな入口。

そこには何がいたのだろう。

ドラゴンだったかもしれない。

ヒーローだったかもしれない。

誰にも話していない、自分だけの世界だったかもしれない。

今夜、少しだけ思い出してみてもいい。

あなたが子どもの頃、本気で「いるかもしれない」と思っていたものは何だっただろう。

そうめん
そうめん

……なんか久しぶりに、昔好きだったもの見たくなってきた。

司書
司書

それなら、この資料を開いた意味はあったのかもしれませんね。

司書
司書

今夜の記録はここまでです。

司書
司書

また次の資料でお会いしましょう。

資料・出典

SCP-1762「Where The Dragons Went」は、SCP Foundationで公開されている創作作品です。本記事では原典の設定と物語をもとに、深夜資料室独自の視点から「子どもの頃の想像力」「成長によって失われるもの」「物語と記憶」について考察しています。

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