書いた瞬間に奪われるなら、どうやって記録を残すのか――SCP-2521と財団が言葉を捨てた理由

SCP資料
そうめん
そうめん

……今回、原典ほとんど絵じゃん。

司書
司書

文章で説明できないんです。

そうめん
そうめん

説明できない?

司書
司書

説明すると、来ますから。

そうめん
そうめん

誰が?

司書
司書

……それを今から説明します。

記録を残すことは、安全のための基本だ。危険なものを見つけたなら、その特徴を書く。何をしてはいけないのかを伝える。次に同じものと遭遇した人間が、同じ失敗を繰り返さないようにする。

だが、その危険について書くこと自体が危険だったらどうすればいいのだろう。名前を書く。特徴を書く。誰かへ説明する。その行為によって、危険な存在のほうからこちらへやって来るとしたら。

SCP Foundationで公開されている創作作品、SCP-2521。原典ページを開くと、一般的なSCP記事とはまるで違う光景が現れる。長い説明文も、収容手順も、実験記録もない。並んでいるのは、ほぼすべてピクトグラムだ。

財団が文章を書くことを諦めたからではない。文章を書くことができなかったからである。

黒く、細長い何か

SCP-2521は、黒い人型の存在として描かれている。非常に細長い四肢を持ち、身体には粘着性があるらしく、壁などの固体をすり抜けて移動することができる。

ただし、人間を見つけ次第襲うような存在ではない。普通に生活している限り、遭遇する可能性は極めて低い。問題になるのは、ある特定の行動をしたときだ。

SCP-2521について、文字による情報を記録すること。

紙でも、コンピューターでも関係ない。SCP-2521に関する文字情報が作られると、この存在はどこからともなく現れ、その記録を抱きしめるように回収して持ち去ってしまう。壁や障害物で隔離しても意味はない。SCP-2521はそのまま通過できるからだ。

書いたものを、持っていく

原典では、この性質そのものが絵によって説明されている。SCP-2521について文章を書く。するとSCP-2521が現れ、その紙を持って去っていく。コンピューターに情報を保存しても同じで、記録媒体そのものが回収される。

奇妙なのは、その行動に激しい敵意が感じられないことだ。対象を破壊するというより、まるで自分について書かれたものを大切に抱きかかえ、持ち帰っているように描かれている。

そのためSCP-2521は、しばしば「自分についての情報が大好きな存在」のようにも解釈される。ただし、その性質を甘く見てはいけない。文字ではなく、人間が声に出してSCP-2521について話した場合、状況はさらに悪くなる。

そうめん
そうめん

紙じゃなかったら?

司書
司書

声に出して説明しますか?

そうめん
そうめん

そう。それなら記録じゃないじゃん。

司書
司書

その場合は、紙の代わりに話した人が持っていかれます。

そうめん
そうめん

……やっぱ黙っとくわ。

話した人間を、持っていく

SCP-2521について口頭で情報を伝えると、今度は発言した人間の前にSCP-2521が出現する。そして記録媒体の場合と同じように、その人物を抱きかかえて連れ去ってしまう。

連れ去られた人間がどこへ行くのかは分からない。SCP-2521がどこから現れ、どこへ帰っていくのかも判明していない。

つまり財団は、かなり厄介な問題を抱えることになる。危険性を職員へ伝えなければならない。しかし文章で説明すれば記録が奪われ、口頭で説明すれば説明した人間が奪われる。

普通なら「記録を増やすこと」が安全につながる。SCP-2521では逆だ。情報を残せば残すほど、SCP-2521を呼び寄せる機会が増える。

それでも、絵には反応しない

そこで財団が見つけた抜け道が、絵だった。

SCP-2521は、自分について描かれた画像や記号には反応しない。文字でも言葉でもなく、視覚的な図として情報を表現すれば、異常性を刺激せずに特徴を伝えることができる。

だから原典ページには、SCP-2521の姿、文字を書いた場合、口頭で説明した場合、そしてピクトグラムなら安全であることまで、ほぼすべて絵だけで記録されている。

文章を書けないという制約を、記事そのものの形式へ変えてしまったわけだ。

そしてここが、SCP-2521という作品の面白いところでもある。読者は「文章で説明された異常性」を読むのではない。文章で説明できない異常性を、実際に文章なしで読まされる。

知っているだけなら、安全なのか

ここからは、原典に明確な答えのない部分を考えてみたい。SCP-2521が反応するのは、少なくとも原典で示されている範囲では「情報を知っていること」そのものではない。文字にする、あるいは言葉として外へ出すことが引き金になる。

つまり頭の中で覚えているだけなら、その知識は残せる。しかし他人へ伝えようとした瞬間、問題が始まる。

これは少し奇妙だ。通常、知識は共有されることで力を持つ。誰か一人しか知らない危険より、多くの人間が知っている危険のほうが対策しやすい。文明そのものも、知識を文字と言葉で次の人間へ渡してきたから発展した。

SCP-2521は、その仕組みの一点だけを狙っている。

知ることはできる。しかし、普通の方法では伝えられない。

もし「記録」が使えなかったら

私たちは、文字をあまりにも当たり前に使っている。危険物には注意書きを貼る。地図には場所を書く。医学では症状を記録し、事件では証言を残し、歴史は文章として保存する。

だから「文字が使えない」というだけで、人間の情報共有能力は驚くほど弱くなる。SCP-2521に対して財団が採用したピクトグラムは、単なる洒落ではない。言葉という道具を一つ奪われた人間が、それでも記録を残そうとした結果だ。

そして考えてみれば、人間は文字が生まれる以前から同じことをしていた。洞窟に絵を描き、印を残し、形によって情報を伝えてきた。

SCP-2521を記録するため、最新技術を持つ財団が選んだ方法は、ある意味では人類が最初に使った記録方法への逆戻りだった。

記録とは、文章のことではない

深夜資料室も、名前のとおり記録を集める場所だ。ここまで多くの資料を文章として残してきた。しかしSCP-2521を見ると、「記録」という言葉そのものを少し考え直したくなる。

文章がなくても、情報は残せる。絵でもいい。記号でもいい。写真でもいい。誰かが後から見て、「ここには何かがあった」「これは危険だ」と理解できるなら、それも記録になる。

SCP-2521の原典には、普通の記事のような説明文がほとんどない。それでも読めば、何をしてはいけないのかが分かる。

むしろ文章がないからこそ、その異常性を一度で理解できる。

財団は言葉を捨てたのではない。言葉が使えない場所でも、記録することを諦めなかった。

そして、この資料には矛盾がある

最後に、一つだけ残る問題がある。

ここまで読んできたこのページには、SCP-2521についての文章が大量に書かれている。

原典の財団職員なら、絶対にやらない方法だ。

もちろんSCP Foundationは創作作品であり、現実にこの記事を書いたことで何かが現れることはない。

ただ、原典の設定だけを借りるなら――。

この資料は、とっくに回収されている。

そうめん
そうめん

……待って。

司書
司書

どうしました?

そうめん
そうめん

俺ら、めちゃくちゃ喋ってない?

司書
司書

ええ。

そうめん
そうめん

しかも文章にもしてるよな?

司書
司書

ええ。

そうめん
そうめん

……。

司書
司書

……。

そうめん
そうめん

今日、締めなくてよくない?

司書
司書

そうしましょう。

資料・出典

SCP-2521は、LurkD氏によってSCP Foundationで公開されている創作作品です。原典は「SCP-2521について文字情報を記録するとその媒体が持ち去られ、口頭で情報を伝えると発言者が連れ去られる一方、画像・記号による情報には反応しない」という異常性を、ほぼ全面的にピクトグラムだけで表現しています。本記事では原典の視覚表現を文章へ置き換えたうえで、「言葉による記録が使えないとき、人間はどう知識を残すのか」という視点から考察しています。SCP-2521およびSCP Foundationに関する記述は創作上の設定です。

原典:SCP-2521 / LurkD(SCP Foundation、CC BY-SA 3.0)

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