死なないことは、本当に幸せなのか――SCP-7179と「永遠」の終わり

奇妙な記録
そうめん
そうめん

不老不死って、普通に当たりじゃない?

司書
司書

そう思いますか?

そうめん
そうめん

だって死なないんでしょ。時間を気にせず好きなことできるし、見たい未来も全部見られるじゃん。

司書
司書

では、百年生きられるとしたら?

そうめん
そうめん

いいね。

司書
司書

千年なら?

そうめん
そうめん

……まあ、まだ面白そう。

司書
司書

一億年なら?

そうめん
そうめん

長すぎるな。

司書
司書

では、一億年が終わったあとに、さらに一億年。そのあとにも同じだけの時間が続き、それでもまだ終わりに近づいてすらいないとしたら。

そうめん
そうめん

……それ、不老不死っていうより何かの罰じゃない?

人は昔から、不老不死を夢見てきた。

老いない身体。

終わらない時間。

病気や寿命に怯える必要もなく、まだ見ぬ未来をどこまでも見届けることができる。

もし本当に手に入るなら、欲しいと思う人は少なくないだろう。

だが、ここで一つだけ条件を変えてみる。

「好きなだけ生きられる」のではない。

「永遠に生きなければならない」。

この二つは、よく似ている。

けれど、おそらくまったく違う。

百年後も生きている。

千年後も生きている。

一万年後も、一億年後も、その先も。

どれだけ時間が過ぎても、「残り時間」は減らない。

なぜなら永遠には、残りが存在しないからだ。

そんな世界を描いた奇妙な創作がある。

SCP-7179――「E is for Eternity」。

そうめん
そうめん

タイトルからして永遠なのか。今回は不老不死になるSCP?

司書
司書

少し違います。ある場所では、人は死ぬことができません。

そうめん
そうめん

やっぱり最高じゃん。

司書
司書

問題は、その場所から出ることもできないということです。

死ぬことのできない楽園

SCP-7179は、共同創作サイト「SCP Foundation」で公開されている創作作品だ。

物語で描かれる異常な領域には、穏やかな海岸が広がっている。

美しい海。

砂浜。

過酷な環境に放り込まれるわけではない。

そして、そこへ到達した人間には決定的な変化が起こる。

死ぬことができない。

それだけを聞けば、楽園のようにも思える。

寿命はない。

時間はいくらでもある。

急ぐ必要もない。

明日できることを、今日やる必要さえない。

しかし、その場所にはもう一つ重要な特徴がある。

そこから抜け出す方法がない。

死ぬこともできず、帰ることもできない。

与えられたのは「長い人生」ではない。

終わるという選択肢そのものを失った時間だ。

最初の百年は、本当に幸せかもしれない

永遠の恐ろしさを考えるとき、最初からすべてを地獄として考える必要はない。

むしろ最初は、楽しいかもしれない。

時間はいくらでもある。

眠りたいだけ眠れる。

何かを考える時間もある。

焦る必要がない。

今日何もしなくても、明日がある。

そして明日のあとにも、また明日がある。

百年くらいなら、それでもいいのかもしれない。

では千年なら。

一万年なら。

人間が文明を築いてきた時間よりも長く、同じ場所で存在し続けるとしたら。

そして重要なのは、そこまで生きても何も終わっていないことだ。

一万年を耐えたとしても、永遠のうち一万年が終わっただけではない。

永遠には、何パーセントという考え方すら存在しない。

「いつか終わる」は、思っている以上に大きい

私たちの生活には、ほとんど必ず終わりがある。

仕事には終業時間がある。

学校には卒業がある。

長い映画にもエンドロールがある。

苦しい一日にも夜が来る。

嫌なことをしているとき、「あと少し」と思えるのは終わりがあるからだ。

逆に、楽しい時間を大切に感じる理由の一つも、それがいつまでも続かないと知っているからかもしれない。

旅行には帰る日がある。

休日には月曜日が来る。

桜は散る。

だから、今見ておこうと思う。

終わりとは、単に何かを奪うものではない。

今という時間に形を与えているものでもある。

そうめん
そうめん

でもさ、楽しいことなら終わらない方がよくない?

司書
司書

では、その楽しいことを一万年続けたあとにも、まだ無限に続けなければならないとしたら?

そうめん
そうめん

……好きだったものまで嫌いになりそう。

司書
司書

少なくとも、「いつでもやめられる楽しさ」と「絶対に終われない楽しさ」は同じではなさそうですね。

無限の時間があれば、すべてできるのか

不老不死を想像するとき、よくある魅力の一つがこれだ。

時間が無限にあれば、やりたいことを全部できる。

確かに、最初はそうかもしれない。

読みたかったものを読む。

考えたかったことを考える。

覚えたいことを覚える。

何度でも挑戦する。

だが、永遠とは「やりたいことを全部やれるほど長い時間」ではない。

やりたいことを全部やったあとにも続く時間だ。

一度やったことをもう一度やる。

百回やる。

一万回やる。

それでも時間はなくならない。

新しいことを探す。

それもいつか経験になる。

そして経験したことの数がどれだけ増えても、残っている時間は減らない。

永遠とは、可能性が無限にあることではなく、時間から逃げられないことにもなり得る。

退屈よりも恐ろしいもの

永遠に生きる恐怖を「退屈」という言葉だけで片づけると、少し軽すぎる。

暇だからつらい、という話ではない。

退屈なら、新しい遊びを探せばいい。

問題は、その新しい遊びにも終わりが来ることだ。

そして、そのあとにも時間が残る。

何かを始める。

終える。

また始める。

また終える。

その繰り返しをどれほど重ねても、自分自身の存在だけには終わりが来ない。

そう考えると、恐ろしいのは「することがなくなる」ことだけではない。

もう十分だと思っても、存在し続けなければならないこと。

そこに、永遠の本当の重さがある。

死は、本当に人生の敵なのか

もちろん、死は怖い。

大切な人を失うことも、自分がいなくなることも、簡単に受け入れられるものではない。

だから人は、長く生きたいと願う。

それ自体は自然なことだ。

だが、「長く生きたい」と「永遠に死にたくない」は同じなのだろうか。

百年では短いと思うかもしれない。

二百年なら。

千年なら。

どこまで数字を増やしても、それはまだ「長い時間」だ。

永遠だけは違う。

永遠には、その先に終わりがない。

だとすれば、死は人生を奪うものだけではないのかもしれない。

人生を「一つの時間」にしている境界でもある。

期限があるから、選べる

人生の時間が有限であることは、不自由でもある。

すべての場所には行けない。

すべての仕事はできない。

すべての本を読むこともできない。

だから選ぶ。

何に時間を使うのか。

誰と過ごすのか。

何を諦めるのか。

何だけは諦めないのか。

もし本当に時間が無限なら、「今これを選ぶ理由」は弱くなる。

今日でなくてもいい。

百年後でもいい。

一万年後でもいい。

いつでもできる。

その言葉が文字どおり真実になったとき、選択は自由になるのだろうか。

それとも、選ぶ理由そのものを失ってしまうのだろうか。

有限であることは、できないことを生む。

同時に。

「これを選ぶ」という意味も生んでいる。

「永遠に生きたい」と言うとき

もしかすると、多くの人が欲しいのは本当の意味での不老不死ではない。

まだ死にたくない。

もっと大切な人といたい。

やりたいことが残っている。

未来を見たい。

だから、もっと時間が欲しい。

それを突き詰めた言葉が「永遠に生きたい」なのかもしれない。

しかし、SCP-7179が突きつける永遠は違う。

十分な時間ではない。

望むだけの時間でもない。

望まなくなったあとにも続く時間だ。

そうめん
そうめん

なるほどなあ。不老不死が欲しいっていうより、「まだ終わってほしくない」ってことなのかも。

司書
司書

その二つは、似ているようで大きく違います。

そうめん
そうめん

終わる時を自分で決められるなら、また話は違いそうだけど。

司書
司書

ええ。「終われる」という選択肢が残っている限り、それは本当の意味での永遠とは違うのでしょう。

永遠の終わり

SCP-7179が奇妙なのは、人を殺すからではない。

むしろ、その逆だ。

死なせてくれない。

一見すると、それは人類が長いあいだ求めてきた願いそのものに見える。

だが、願いを極端なところまで延ばした瞬間、その意味が反転する。

終わらない休日。

終わらない幸福。

終わらない人生。

どれほど美しいものでも、「絶対に終われない」という条件がついたとき、それは同じものなのだろうか。

死があるから人生は幸福だ、と簡単に言うことはできない。

死は悲しく、理不尽で、ときにはあまりにも早く訪れる。

それでも、終わりが存在するという事実は、私たちが思っている以上に「今」の形を作っているのかもしれない。

もし目の前に、永遠に生きられる扉が現れたら。

老いることもない。

死ぬこともない。

ただし、一度入れば二度と終わることはできない。

それでもあなたは、その扉を開くだろうか。

そしてもし開いたなら――

何年目に初めて、「終わりが欲しい」と思うだろうか。

そうめん
そうめん

……俺、最初に言ったの撤回する。永遠じゃなくて、ちょっと長めくらいでいいや。

司書
司書

案外、それくらいが一番ぜいたくなのかもしれませんね。

司書
司書

今夜の記録はここまでです。

司書
司書

また次の資料でお会いしましょう。

資料・出典

SCP-7179「E is for Eternity」は、SCP Foundationで公開されている創作作品です。本記事では原典の設定をもとに、深夜資料室独自の視点から「不老不死」「有限な時間」「終わりが持つ意味」について考察しています。

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