リードマスク事件|二人の技術者は、丘の上で何を待っていたのか

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1966年8月、ブラジル。

二人の電子技術者が家を出ました。

仕事に必要なものを買いに行く――家族には、そう伝えていたとされています。

ところが三日後。

二人は遠く離れた丘の上で、並んで死亡しているところを発見されます。

司書
司書

事故だったのか、事件だったのか。

それすら、はっきりしていません。

二人の死因は、最後まで特定できませんでした。

そうめん
そうめん

じゃあ、何がそんなに変な事件なの?

司書
司書

二人が死ぬ前に準備していたものです。

雨具。水。時間を書いたメモ。

そして――鉛で作られた、目を覆うためのマスク。

さらにメモには、カプセルを摂取すること。

金属を保護すること。

そして、「信号を待つ」と読める指示まで残されていました。

二人の電子技術者

1966年。

ブラジル、リオデジャネイロ州のカンポス・ドス・ゴイタカゼス。

ここに二人の男性が暮らしていました。

32歳のManoel Pereira da Cruz(マノエル・ペレイラ・ダ・クルス)。

34歳のMiguel José Viana(ミゲル・ジョゼ・ヴィアナ)。

二人は友人で、電子機器やテレビなどを扱う技術者でした。

仕事を持ち、家族がいて、電子機器に関する知識を持つ二人の男性です。

8月17日。

二人は家族に、仕事に必要な材料を購入するなどの用事があると告げて出発します。

家族へ説明した具体的な目的については、後世の資料によって細部に違いがあります。

確かなのは、二人がその日、約280キロ離れたNiterói(ニテロイ)へ向かったことでした。

ニテロイで買ったもの

二人はバスで移動し、8月17日の午後、ニテロイへ到着したとされています。

その後の行動は、目撃証言や残された品物などから一部が再構成されています。

二人は電子機器を扱う店へ立ち寄りました。

さらに、レインコートを2着購入。

そしてバーへ立ち寄り、ミネラルウォーターを1本購入しています。

水を購入した際には、ボトルの保証金に関するレシートを求めたとも伝えられています。

店員は後に、二人が時間を気にしているように見えたと証言しました。

何かに間に合わせようとしていたのか。

誰かとの約束があったのか。

その時点では、まだ分かりません。

二人は丘へ向かった

次に二人が向かったのは、ニテロイにあるMorro do Vintém(モーロ・ド・ヴィンテム/ヴィンテム丘)でした。

二人はスーツを着て、その上から購入したレインコートを身につけていたとみられています。

そして、丘を登っていきました。

ここから先、二人が生きている状態で何をしたのかは分からなくなります。

誰かと会ったのか。

二人だけで何かを始めたのか。

その答えが見つからないまま、三日が経過します。

8月20日、草むらの中に二人がいた

8月20日。

ヴィンテム丘の草に覆われた斜面で、二人の遺体が発見されます。

二人は並ぶように仰向けになっていました。

服装はスーツ。

その上にはレインコート。

激しく争ったことを示す明確な痕跡は確認されませんでした。

現場には、空になった水のボトルやタオル、ノートなどが残されていました。

そして、ひときわ異様なものがありました。

二つの鉛製マスクです。

それは、顔全体を覆う仮面ではありません。

厚い鉛板を、眼鏡のような形に加工したもの。

しかし普通の眼鏡とは、決定的に違いました。

目の部分に、外を見るための穴がありません。

装着すれば、視界は塞がれる。

何かを見るためではなく、何かから目を守るために作られたような形でした。

そうめん
そうめん

仕事の買い物に行った二人が、なんで鉛の目隠しを持って丘にいるの?

司書
司書

そこから、この事件がおかしくなります。

そうめん
そうめん

しかも、二人分……。

司書
司書

ええ。

そして、このマスクは二人自身が準備した可能性があります。

鉛のマスクは、自分たちで作ったのか

鉛は、放射線などを遮蔽する材料として使われます。

ただし、それだけを理由に「二人は放射線を防ごうとしていた」と断定することはできません。

報道や後年の資料では、マノエルの自宅に同種の鉛の切れ端があり、妻も二人がマスクを作っていた趣旨の話をしたとされています。

これが正しければ、何者かに無理やり装着させられたものではなく、二人自身が何らかの目的で用意したことになります。

強烈な光。

放射線。

電気的な現象。

あるいは、彼ら自身が危険だと考えていた何か。

鉛を選んだ理由は、現在も確定していません。

ポケットから見つかったメモ

さらに重要なのが、現場に残されていた手書きのメモです。

そこには、時刻と短い指示が書かれていました。

16時30分 指定された場所にいる

18時30分 カプセルを摂取

効果が現れた後、金属を保護する

信号を待つ

マスク

ただし、これは伝えられているポルトガル語の文面を日本語で大意にしたものです。

原文には句読点が乏しく、転記にも差があるため、細かな語順や指示の関係には複数の解釈があります。

それでも、メモに「時刻」「カプセル」「金属」「信号」「マスク」という要素が含まれていたことは、この事件を考えるうえで重要です。

「カプセル」とは何だったのか

ここで、死因につながる可能性のあるものが現れます。

カプセルです。

メモの指示通りに二人が行動したとすれば、決められた時間に何らかのカプセルを摂取した可能性があります。

現場には、水のボトルも残されていました。

もしカプセルの中身が薬物や化学物質だったなら、二人がほぼ同じ場所で死亡していたことにも説明がつきます。

当然、毒物や薬物による中毒が疑われました。

ところが、その可能性を確かめるうえで大きな問題が起きます。

死因が分からない

二人の遺体には、死因を明確に説明できるような大きな外傷が確認されませんでした。

では、毒物だったのか。

薬物だったのか。

本来なら、毒物学的な検査が重要になります。

しかし遺体は発見時点ですでに腐敗が進んでおり、検査体制にも問題がありました。

後に遺体の再検査も行われましたが、二人を死亡させた原因を確定することはできませんでした。

マノエルとミゲルの死因は、特定されなかったのです。

二人は何をしようとしていたのか

捜査では、二人の普段の活動にも注目が集まりました。

二人は電子技術者である一方、心霊主義や超常的な現象にも関心を持っていたとされています。

周囲の人物を含め、電子機器や薬物などを利用しながら、霊的存在との交信や未知の現象を体験しようとしていたという証言も伝えられています。

これが事実なら、丘で見つかった道具にも一つの可能性が見えてきます。

電子技術。

鉛。

カプセル。

そして、時間を指定して待つ「信号」。

二人は何らかの現象を発生させる、あるいは受信するための実験をしていたのではないか。

そう考える説があります。

ただし、二人が超常現象に関心を持っていたことと、実際に超常現象が発生したことは別の話です。

UFOを待っていたという説

事件には後に、UFOや地球外生命との接触を試みていたのではないかという説も加わりました。

鉛のマスクは、強烈な光や放射線から目を守るため。

カプセルは、特殊な精神状態へ入るため。

「信号」は、接触開始の合図。

そう解釈すれば、確かに現場の奇妙な品々を一つの物語として結びつけることはできます。

しかし、これは仮説です。

現場からUFOや地球外生命の存在を示す物的証拠が発見されたわけではありません。

そもそも、メモにある「信号」が何を意味していたのかも判明していません。

薬物を使った実験だったのか

超常的な要素を外して考えると、より単純な説明もできます。

二人は、自分たちで計画した何らかの実験のために丘へ向かった。

その過程でカプセルを摂取し、中毒や過量摂取によって死亡した。

メモにカプセルの摂取を示す記述がある以上、この可能性は無視できません。

第三者を想定しなくても、二人が同じ場所で死亡したことを説明できます。

一方で、肝心のカプセルの中身が分からず、毒物による死亡を裏付ける結果も得られていません。

そのため、合理的な仮説ではあっても、確定した死因にはなっていません。

第三者は存在したのか

もう一つ残るのが、二人以外の人物が関与していた可能性です。

二人は誰かと丘で待ち合わせていた。

「指定された場所」や「信号」は、その人物からの指示だった。

そして、渡された何かを摂取した。

そう考えることもできます。

金銭をめぐる犯罪を疑う説もありますが、二人が出発時に所持していた金額については資料によって差があります。

また、遺体から明確な暴行の痕跡も確認されていません。

第三者の関与を完全に排除することはできませんが、殺人を裏付ける決定的な証拠もありません。

そうめん
そうめん

事故だったとしても、一番知りたいところが残るね。

司書
司書

ええ。

死因だけではなく、二人が何を目的にあの丘へ向かったのか。

そこが分からないんです。

そうめん
そうめん

メモには、やることは書いてあるのに。

司書
司書

そうですね。

手順は残っている。目的だけが残っていない。

この事件の奇妙さは、そこにあります。

手順だけが残された

マノエルとミゲルの行動には、準備がありました。

二人で遠く離れた町へ向かい、必要なものを用意し、丘へ登った。

そして、現場には時刻まで指定されたメモが残されていた。

そのため、少なくとも二人が何らかの計画に従って行動していたことはうかがえます。

ところが、その計画の目的だけが分かりません。

実験だったのか。

誰かとの約束だったのか。

彼らが信じていた超常的な現象を待っていたのか。

どの説にも、それを最後まで証明するものがありません。

1966年8月。

ヴィンテム丘に残されたのは、二人の遺体と、奇妙な道具、そして途中までしか意味の分からない指示でした。

その中で、最後まで異様に響く言葉があります。

「信号を待つ」

二人が何からの信号を待っていたのか。

その答えは、丘の上には残されていませんでした。

出典・参考

  • ブラジルで報道されたリードマスク事件(Caso das Máscaras de Chumbo)に関する事件記録・報道資料
  • マノエル・ペレイラ・ダ・クルス、ミゲル・ジョゼ・ヴィアナの行動およびヴィンテム丘での遺体発見に関する記録
  • 現場で発見された鉛製マスク、手書きメモ、所持品に関する資料
  • 死因調査、毒物検査および事件後に提示された各仮説に関する資料

※本事件は古い未解決事件であり、資料によって時刻、メモの転記、二人の行動など細部に差があります。本記事では確認可能な記録と後年の仮説を区別し、UFO・超常現象・薬物・第三者関与などを確定事項として扱っていません。

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