Anora Petrova|Wikipediaに書かれた「自分の未来」を読んではいけない

奇妙な記録
司書
司書

もし、自分のWikipediaの記事を見つけたら。どうしますか。

そうめん
そうめん

いや、まず俺の記事なんてないだろ。

司書
司書

あったとします。生年月日。出身地。これまでの経歴。すべて正しい。

そうめん
そうめん

それならちょっと嬉しいかも。

司書
司書

では、その記事に――明日起きることまで書いてあったら?

彼女の名前は、アノーラ・ペトロヴァ

アノーラ・ペトロヴァ(Anora Petrova)は、将来を期待される若いフィギュアスケート選手でした。

幼い頃からスケートに打ち込み、大会で結果を残し、さらに上を目指して練習を続けている。

そんな彼女が、ある日インターネットで自分の名前を検索します。

特別な理由があったわけではありません。

自分について何が出てくるのか。

誰でも一度くらい試したことがあるような、単純な興味でした。

検索結果の中に、Wikipediaの記事がありました。

「Anora Petrova」

自分の名前です。

なぜ私の記事があるの?

アノーラは驚きます。

自分はまだ、Wikipediaに個人記事が作られるほど有名ではない。

しかしページを開いてみると、そこには確かに自分のことが書かれていました。

生年月日。

出生地。

家族。

スケートを始めた時期。

競技歴。

これまでの成績。

読んでいくと、内容は驚くほど正確でした。

知らない誰かが、自分の人生を細かく記録している。

それだけでも十分気味が悪い。

しかし、記事の下へ進んだアノーラは、もっとおかしな文章を見つけます。

そこには、まだ出場していない大会の結果が書かれていたのです。

そうめん
そうめん

ただのいたずらじゃない?

司書
司書

普通なら、そう考えます。

そうめん
そうめん

未来の大会結果なんて適当に書けるし。

司書
司書

問題は、その翌日です。

書かれていた通りになった

翌日。

アノーラは大会へ出場します。

そして――

優勝しました。

Wikipediaに書かれていた通りに。

偶然かもしれません。

スポーツの結果です。

実力のある選手なら、優勝を予想することくらいできる。

アノーラ自身も、最初はそう考えたのかもしれません。

しかし気になる。

そこで彼女は、もう一度Wikipediaを確認します。

ページには、次の大会についても書かれていました。

結果はまだ起きていない。

それなのに、すでに文章になっている。

そして大会の日。

再び、書かれていた結果が現実になります。

Wikipediaが未来を知っている

一度なら偶然。

二度なら不気味な一致。

それが繰り返されれば、考え方は変わります。

アノーラは、自分の記事を確認するようになります。

次の大会。

順位。

出来事。

まだ起きていない未来が、まるで過去の記録であるかのように書かれている。

そして、時間が経つと現実がそこへ追いついていく。

いつしか彼女にとってWikipediaは、百科事典ではなくなりました。

未来を確認する場所になっていきます。

だったら、未来を書き換えられるのでは?

ここで、アノーラは一つのことを思いつきます。

Wikipediaの記事は、編集できる。

未来が書かれているなら。

自分で内容を書き換えれば、未来も変わるのではないか。

大会で優勝した。

そう書けば、優勝できるのではないか。

より良い成績。

より大きな成功。

望んだ未来を、先にWikipediaへ書いてしまえばいい。

アノーラは、自分の記事を編集しようとします。

しかし――できません。

何度試しても、ページの内容を変更することができない。

自分の記事なのに。

自分の未来なのに。

自分だけが、そこへ触れられない。

そうめん
そうめん

読むだけにしとけばいいのに。

司書
司書

未来を知ることができる人間が、読むだけで満足できればいいのですが。

彼女はページを利用し始める

アノーラは、未来の記事を競技に利用するようになっていきます。

結果を先に知る。

自分が勝つ大会。

自分の名前が残る大会。

それを確認してから、現実のリンクへ向かう。

未来を知っているという安心は、彼女をさらに大胆にしていきます。

成績は伸びる。

注目も集まる。

アノーラ・ペトロヴァという名前は、現実でも有名になっていく。

最初は、「なぜ自分の記事が存在するのか」と怯えていた少女。

しかしいつしか、彼女はそのページなしではいられなくなっていました。

ところが――あるとき、記事の内容が変わります。

今度は、悪い未来が書かれていた

Wikipediaには、アノーラが望んでいない未来が記され始めます。

競技での失敗。

人間関係の悪化。

そして、彼女の人生が壊れていくような記述。

これまでは、未来を教えてくれる便利なページだった。

しかしそのページが、今度は自分にとって都合の悪い未来を告げている。

アノーラは焦ります。

ページを書き換えようとする。

削除しようとする。

どうにか未来を変えようとする。

それでも、うまくいかない。

そして次第に、Wikipediaの記事は、単に未来を予言しているだけではないように見えてきます。

ページがアノーラを見ている

彼女が記事を読んでいる。

それだけではない。

まるで――

記事の側も、彼女が読んでいることを知っている。

そんな文章が現れ始めます。

アノーラがページへ干渉しようとすると、それに応じるように記述が変化する。

自分しか知らないはずのこと。

自分が今しようとしていること。

それすら、先回りするように書かれていく。

未来を記録していたはずのページが、いつの間にか、アノーラ本人へ向けて文章を書いている。

そうめん
そうめん

それもうWikipediaじゃないじゃん。

司書
司書

見た目はWikipediaです。

そうめん
そうめん

それが一番嫌だわ。

両親にまで影響が及ぶ

異変は、アノーラ一人では終わりません。

彼女の両親についても、不吉な記述が現れます。

自分がページに関わり続ければ、家族にまで何かが起きるのではないか。

アノーラは追い詰められていきます。

そして、未来を知るために何度も開いていたページを、今度は恐れて開けなくなっていく。

知りたい。

でも、見たくない。

ページを開けば、次に何が起きるのか分かるかもしれない。

しかし、そこに書かれた瞬間、その出来事から逃げられなくなるようにも思える。

未来を知る能力は、いつの間にか祝福ではなくなっていました。

「予言」なのか、「命令」なのか

ここで、一つの疑問が生まれます。

Wikipediaの記事は、未来を予測していたのでしょうか。

それとも――

書かれた内容が、現実になっていたのでしょうか。

この二つは、似ているようでまったく違います。

未来を予言しているだけなら、どこかに決まった未来があり、Wikipediaはそれを先に表示しているだけ。

しかし、書かれたことが現実になるのなら。

ページは未来を見る道具ではありません。

未来を作る道具です。

そして、もしそうなら。

誰が書いているのか。

なぜアノーラなのか。

その答えは、最後まで明確には示されません。

未来を知れば、自由になれるのか

アノーラは最初、未来を知ることで有利になりました。

大会の結果が分かる。

成功が分かる。

これから何が起きるか分かる。

普通なら、誰もが欲しがりそうな能力です。

しかし、未来を知るということには、別の意味があります。

もし明日の結果を知っているなら、今日の努力には意味があるのか。

もし失敗すると書かれていたら、どれだけ努力しても変わらないのか。

もし誰かが死ぬと書かれていたら、その人を救おうとする行動すら、すでに記事の中に含まれているのか。

未来を知れば知るほど、自分で人生を選んでいる感覚は失われていく。

アノーラが手に入れたのは、未来を自由にする力ではありませんでした。

むしろ、未来から逃げられないことを確認する力だったのかもしれません。

Anora Petrovaの正体

ここまで読むと、実在したフィギュアスケート選手の奇妙な事件記録のように見えます。

しかし、アノーラ・ペトロヴァという選手が、この物語どおりの人生を送ったという事実は確認されていません。

この話は、インターネット上で広まったクリーピーパスタ(creepypasta)です。

つまり、ネット上でコピー・共有されながら広がったホラー創作。

Wikipediaに未来が表示されたという出来事も、超常現象の実録として確認されたものではありません。

それでも、この話が長く残った理由は分かりやすい。

使っているのが、誰もが知っているWikipediaだからです。

Wikipediaだから怖い

もしアノーラが見つけたものが、「未来予言.com」のような怪しいサイトだったら。

おそらく、最初から信用しないでしょう。

しかしWikipediaは違います。

何か分からないことがある。

検索する。

Wikipediaが出てくる。

開く。

そこには、すでに起きた出来事が整理されている。

私たちは、その形式に慣れています。

だからこそ、その中に一行だけ、まだ起きていない出来事が混ざっていたら。

その違和感は、非常に強い。

しかも文章は、いつもの百科事典のように淡々としている。

「明日あなたは死ぬ」と脅してくる必要さえありません。

ただ、生年月日の横に、まだ来ていない死亡日が書かれている。

それだけでいい。

そうめん
そうめん

自分のWikipediaなんて検索しない方がいいな。

司書
司書

普通は存在しませんから、大丈夫でしょう。

そうめん
そうめん

もしあったら?

司書
司書

まず、どこまで書かれているか確認しますか?

そうめん
そうめん

……たぶん見る。

司書
司書

そうでしょうね。

一行先を読まなければよかった

未来を知る方法がある。

そう聞けば、多くの人は一度くらい使ってみたいと思うでしょう。

明日の仕事。

試験の結果。

恋愛。

お金。

事故。

そして、自分の人生の最後。

けれど、未来が文章としてすでに完成しているなら。

それを読むことは、答えを知ることではありません。

自分の人生が、すでに過去形で書かれていることを確認する行為なのかもしれません。

アノーラ・ペトロヴァが最初に見つけたのは、便利な未来予知ではありませんでした。

自分がまだ生きている途中なのに、自分の人生を最後まで知っている何か。

そして最も恐ろしいのは、そのページを見つけたあとでも――人間はきっと、続きを読んでしまうことです。

もし今、あなたの名前を検索して。

見覚えのないWikipediaの記事が出てきたとしても。

プロフィールを見るくらいなら、問題ないでしょう。

経歴も。

過去の出来事も。

ただし、記事の中に明日の日付を見つけたら。

そこから先は、読まない方がいいのかもしれません。

出典・参考について

「Anora Petrova」は、インターネット上で流通してきたクリーピーパスタ(ネット怪談)です。アノーラ・ペトロヴァというフィギュアスケート選手が、Wikipediaに記された未来を体験したという実在事件として確認されたものではありません。

※本記事では、ネット上で語られてきた物語を「奇妙な記録」として紹介しています。作中のWikipediaや人物・出来事を、実在する事件の記録として扱うものではありません。

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