4625kHz。
短波ラジオの周波数をそこへ合わせる。
ノイズの向こうから聞こえてくるのは、音楽でもニュースでもない。
ブー……ブー……ブー……。
ほとんど同じ音が、何度も繰り返される。
一日中。
深夜になっても。
翌朝になっても。
この奇妙な放送は、短波無線を追う人々から、The Buzzer(ザ・ブザー)と呼ばれている。
日本では現在も「UVB-76」という名前で広く知られているが、これは少しややこしい。
実際に確認されている旧コールサインは「UZB-76(УЗБ-76)」で、「UVB-76」は西側で広まった誤読と考えられている。
そして現在、この放送で使われている主要なコールサインは、NZhTI(НЖТИ)。
名前は変わった。
発信拠点も変わった。
ソ連も崩壊した。
それでも4625kHzでは、現在もあの音が流れている。
少なくとも1982年には、すでに鳴っていた
ザ・ブザーが正確にいつ始まったのかは分かっていない。
1970年代後半から1980年代初頭まで複数の説がある。
ただし、現在残っている確かな記録の一つが、1982年1月の録音。
そこには4625kHzで繰り返される信号音が残されている。
現在聞かれるブザーとは音色が少し違い、当時は約2秒ごとに短い高音が鳴る形式だった。
その後、音は変化していく。
1980年代末にも録音が残され、やがて現在知られるような低く機械的なブザーへ近づいていった。
つまりこれは、インターネット時代に突然現れた「謎の配信」ではない。
冷戦時代から続いている無線通信なのである。

ネットで有名になった怪電波ですが、放送そのものはネットよりずっと古いものです。

じゃあ、誰かが最近始めた都市伝説みたいなものじゃないんだ。

ええ。少なくとも40年以上にわたって、この周波数は監視されています。
そして長い間、その内容はほとんど変わらない。
4625kHz。
一定の間隔。
同じような音。
何も知らずに聞けば、「壊れた機械が鳴り続けている」ようにも聞こえる。
だが、ときどき。
ブザーが止まる。
1997年12月24日――突然、人間の声が入った
現在記録されている初期の有名な音声通信は、1997年12月24日。
いつものブザーが止まり、人間の声が流れた。
記録された内容は、おおむね次のようなものだった。
「UZB-76、UZB-76……BROMAL……」
その後に数字が続く。
「BROMAL(ブロマル)」が何を意味するのかは分からない。
そして、この種の音声はそれで終わらなかった。
以降も不定期にブザーが止まり、コールサイン、数字、意味の分からない単語、さらに数字という形式のメッセージが読み上げられるようになる。

ずっと機械音だったところから、急に人の声が出るの嫌だな……。

しかも、普通の会話ではありません。一定の形式に従って読み上げられています。
「NZhTI、NZhTI……」
現在もっとも一般的なのは、無線監視コミュニティがMonolith(モノリス)と呼ぶ形式である。
一例を日本語で分かる形にすると、次のような構造になる。
NZhTI NZhTI
34 511
GOLOSOK
80 17 81 54
最初にコールサイン。
続いて識別用とみられる数字。
その後にコードワード。
最後に数字列。
「GOLOSOK(ゴロソク)」はロシア語として読める言葉だが、その単語を普通の文章として解釈しても、通信内容そのものが分かるわけではない。
受信する側が別の情報や暗号表を持っているのであれば、外部の人間が聞ける部分だけでは意味を復元できない。
だから世界中の人間が4625kHzを録音していても、「何を送ったのか」までは分からない。
そして、ここからザ・ブザーには大量の噂が生まれていった。
背景から「人間の気配」が聞こえた
ザ・ブザーをさらに奇妙なものにしたのが、本来のメッセージではない音まで電波に乗ったことがあるという点だった。
たとえば2000年12月25日。
ブザーの代わりに試験音が流れ、その途中で、ごく短い女性の声らしきものが記録されている。
マイクが誤って開いた可能性が指摘されている。
このほか長年の監視記録では、音声や周辺の物音らしきものが偶発的に混ざったとされる例が知られている。
これが重要だった。
もし完全に自動化された無人送信設備なら、なぜ人間の声が混ざるのか。
少なくとも一部の時期について、どこかにマイクや通信設備があり、その近くに人間がいた可能性が見えてくる。

じゃあ、どこかの部屋で本当にこの音を流してた人がいたってこと?

設備の運用に人間が関わっていたと考える材料にはなります。ただ、それだけでは場所までは分かりません。
だが、その場所にも手がかりが出てくる。
モスクワ郊外、ポヴァロヴォ
長年、ザ・ブザーと結びつけられてきた場所がある。
モスクワから北西へ離れた、Povarovo(ポヴァロヴォ)周辺。
ここには旧ソ連・ロシア軍の通信施設が存在していた。
監視記録では、2010年9月までザ・ブザーは旧モスクワ軍管区に関係する通信網として運用され、ポヴァロヴォ近郊の通信拠点から送信されていたと整理されている。
そして2010年。
大きな変化が起きた。
長年使われてきた「UZB-76」に代わり、MDZhB(МДЖБ)という新しいコールサインが使われ始める。
送信体制も移動したとみられ、ザ・ブザーは西部軍管区に関係する通信網へ移った。
ポヴァロヴォの旧施設は、その後放棄された。
放棄された施設へ入った人々
ここから、この話はインターネット上の怪談にかなり近い姿を見せ始める。
ザ・ブザーの旧発信地と考えられた施設が使われなくなると、廃墟探索者や無線愛好家たちが現地を訪れるようになった。
建物。
通信設備の痕跡。
アンテナ関連設備。
軍事施設だったことを示す物品。
さらに、ザ・ブザーで使われた通信体系との関連をうかがわせる資料が見つかったという報告も広まった。
これによって、「正体不明の怪電波を発している謎の小屋」というイメージはかなり崩れる。
少なくとも旧施設については、軍事通信網との関係を考える方が自然だった。
だが、ここで話は終わらない。
ポヴァロヴォが放棄されても、4625kHzは止まらなかった。
発信地が消えても、ブザーは鳴り続けた
2010年以降も、ブー……ブー……ブー……。
音は続いた。
監視コミュニティによる長年の追跡では、その後の通信はサンクトペテルブルク方面の通信拠点などと結びつけられている。
主要コールサインも何度か変わった。
2010年からはMDZhB。
2015年末からはZhUOZ。
2019年ごろからANVF。
そして2020年12月30日以降は、NZhTI。
さらに2024年、ロシア軍の軍管区再編後は、ザ・ブザーはレニングラード軍管区に属する通信網として監視コミュニティに整理されている。
つまり現在の理解では、「誰が送っているのか完全に分からない怪電波」という説明は正確ではない。
かなりの部分まで、ロシア軍の通信システムであることが見えている。

あれ? じゃあもう正体は分かってるんじゃないの?

運用主体については、昔よりかなり絞られています。ただし、放送の具体的な用途と個々の暗号文の意味は別問題です。
ここが、ザ・ブザーの本当の面白さでもある。
ブザー音そのものは「メッセージ」ではない可能性
四六時中流れているブザー。
これ自体が暗号なのではないか。
そんな説も昔からあった。
しかし現在有力なのは、もっと実務的な説明だ。
ブザーは、その通信チャンネルが使用中であることを示す「チャンネルマーカー」として機能していると考えられている。
普段は音を流して周波数を維持する。
通信が必要になれば止める。
そして人間がコードメッセージを読み上げる。
終われば、再びブザーへ戻る。
この構造なら、40年以上も同じような音が続いている理由も説明できる。
誰かに不気味な音を聞かせることが目的ではない。
必要なときに使う軍事通信回線を、ずっと開けている。
そう考えると、一気に現実的になる。
だが。
インターネットでは、もっと恐ろしい説が有名になった。
「ブザーが止まったら核ミサイルが飛ぶ」
ザ・ブザーについて検索すると、ほぼ必ず出てくる話がある。
ロシアの核報復システムと接続されているのではないか。
いわゆる、Dead Hand(デッド・ハンド/死者の手)、あるいはロシアの核報復システム「Perimeter(ペリメトル)」との関連説だ。
極端な形では、「ブザーが止まると、ロシアの指導部が壊滅したと判断され、自動的に核報復が始まる」という説明まで広まった。
確かに怖い。
そして物語としては非常に魅力的だ。
だが、ザ・ブザーとペリメトルが技術的に接続されていることを示す確かな証拠は確認されていない。
軍事通信の専門家や調査報道でも、この「終末装置説」は裏付けられた事実としては扱われていない。
ザ・ブザーは過去にも停止や設備上の異常を経験している。
それで核戦争が始まったこともない。
「ブザーが止まれば世界が終わる」。
これはザ・ブザーを象徴する有名な噂ではある。
しかし、確認された機能ではない。
現在も、4625kHzから声は流れている
ザ・ブザーは過去の遺物ではない。
近年も4625kHzでは活動が確認され、音声メッセージが記録され続けている。
通信量が増えた日には、ロシアをめぐる政治・軍事情勢と関連づける報道や投稿が現れることもある。
特定の出来事の直後にメッセージが流れると、SNSでは「何かが始まるのではないか」「軍への命令ではないか」という推測が急速に広がる。
ただし、コードワードが聞こえたからといって、外部の人間にはそれが実際の命令なのか、定期通信なのか、訓練なのか、別の用途なのか判別できない。
過去に使われたコードワードが後年再び現れる例もある。
したがって、「この単語が出た直後に何かが起きた」というだけで因果関係を結びつけることはできない。
ここから考察――結局、ザ・ブザーとは何なのか
ここからは考察になる。
現時点の記録を並べると、ザ・ブザーの大枠はかなり見えている。
ロシア発の軍事通信ネットワーク。
4625kHzを使用。
平常時にはチャンネルマーカーを送信。
必要に応じてコード化された音声通信を行う。
コールサインは時代とともに変化。
軍管区の再編に伴って運用体制も変化しているとみられる。
ここまでなら、「謎の怪電波」というより、外部から中身を読めない軍事通信と表現した方が近い。
では、何がまだ分からないのか。
分からないのは「今日の言葉が何を意味したのか」
誰が運用しているか。
どういう通信網なのか。
なぜブザーを鳴らしているのか。
昔よりかなり分かってきた。
しかし、突然ブザーが止まり、男性あるいは女性の声が、コールサインを読む。
数字を読む。
奇妙な単語を読む。
そして再び、ブー……ブー……ブー……。
その瞬間に送られた情報の意味は、外から聞いている人間には分からない。
どこへ送ったのか。
誰が受け取ったのか。
何を指示したのか。
そもそも本物の指示だったのか。
それを知るための鍵は、電波の中には含まれていない。

昔のように「正体そのものが分からない電波」ではなくなりました。

でも、聞こえてるのに内容だけは分からないんだな。

ええ。それが、この放送が今も人を引きつける理由なのかもしれません。
1980年代。
1990年代。
ソ連崩壊。
21世紀。
軍管区の再編。
発信設備の移動。
コールサインの変更。
そのすべてを越えて、4625kHzには今も信号がある。
世界中の誰でも、受信設備さえあれば聞くことができる。
秘密の地下施設へ侵入する必要もない。
軍の資料を盗む必要もない。
電波そのものは、最初から空中に放たれている。
だからこそ奇妙なのだ。
秘密の通信なのに、誰でも聞ける。
そして、ときどきブザーが止まる。
人間の声が現れる。
意味の分からない言葉と数字を読み上げる。
それが終わると、何事もなかったように、また同じ音が始まる。
ブー……ブー……ブー……。
こちらには聞こえている。
だが、
誰に向けた言葉なのかは、今夜も分からない。
出典・参考資料
- Priyom.org ― The Buzzer(UVB-76)監視記録・周波数・コールサイン・過去の通信記録
- Priyom.org ― The Buzzer Primer / Pre-2010 recordings / FAQ
- 過去の4625kHz受信記録・録音資料
- ロシア軍の通信体系および軍管区再編に関する公開情報
- ザ・ブザーと核報復システム「Perimeter」をめぐる報道・検証記事



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