「あなたのせいだ」と言われ続けたら、人はどこまで自分を疑うのか――SCP-8980と壊された研究員

奇妙な記録
そうめん
そうめん

自分のパソコンだけ、何をやってもおかしくなるって地味に嫌だな。

司書
司書

ファイルが消える。文章が勝手に変わる。送信先を間違える。仕事にも影響が出る。かなり厄介でしょうね。

そうめん
そうめん

でも本人が悪いわけじゃないんだろ?

司書
司書

ええ。少なくとも、最初はそう考えられていました。

そうめん
そうめん

……最初は?

司書
司書

今夜の資料で恐ろしいのは、異常そのものではありません。

仕事で失敗する。

叱られる。

次は失敗しないように気をつける。

それでも、また失敗する。

普通なら。

どこかで原因を探すだろう。

自分なのか。

道具なのか。

環境なのか。

だが。

もし周囲の人間が。

何が起きても。

「結局、あなたに問題がある」と言い続けたらどうなるだろう。

最初は否定するかもしれない。

次に怒るかもしれない。

助けを求めるかもしれない。

それでも誰にも信じてもらえなければ。

いつか。

自分自身を疑い始めるかもしれない。

SCP Foundationで公開されている創作作品、SCP-8980「Ergophobia: Without Regards」。

この記録に登場するのは。

怪物でも。

異世界でもない。

一人の研究員。

リリアン・マーリー。

そして。

彼女を長い時間をかけて壊していった。

ひとつの組織の記録である。

優秀だった研究員

リリアン・マーリーは、もともと財団の研究員だった。

大学でコンピューター科学を学び。

卒業後まもなく財団へ採用されている。

仕事ぶりは評価されていた。

勤勉で。

几帳面で。

研究にも厳密だった。

そして2004年。

彼女はレベル3の資格を取得する。

順調にキャリアを積んでいた。

ところが2005年。

異変が始まる。

リリアンが電子機器を扱うと。

不可解な問題が発生するようになった。

ファイルが消える。

文章が不適切な内容へ書き換わる。

電子メールが意図しない相手へ送られる。

正常なはずのプログラムが異常な動作をする。

電子決済まで失敗する。

しかも。

その結果は決まって。

リリアン自身に不利益を与える方向へ働いた。

被害者だったはずの人間が「異常」になる

最初の大きな問題は。

会議中に起きた。

リリアンが研究用のグラフを投影しようとしたところ。

スクリーンには。

本来表示されるはずのない、露骨に不適切な内容が映し出された。

本人は。

そんなデータを所有していないと訴えた。

だが。

彼女は処分された。

端末の監査。

給与の減額。

その後も電子機器の異常は続いた。

やがて財団は。

リリアンを研究員としてではなく。

「SCP-8980」という異常存在として収容する。

そうめん
そうめん

昨日まで一緒に働いてた人なんだよな?

司書
司書

ええ。

そうめん
そうめん

それが急に番号で呼ばれるのか。

司書
司書

そこから、この記録の空気が変わっていきます。

「治すため」という言葉

財団は。

リリアンの異常性を調べ始める。

現実改変なのか。

電磁的な現象なのか。

電子機器から隔離すれば防げるのか。

さまざまな実験が行われた。

リリアン自身も。

当初は協力している。

異常性がなくなれば。

元の仕事へ戻れる。

そう期待していたからだ。

だが。

原因は分からない。

実験は増える。

収容期間は延びる。

自由は戻らない。

それでも担当者は。

「あなたのためだ」と説明する。

危険だから。

治療のためだから。

安全のためだから。

元の生活へ戻すためだから。

そうして。

一時的だったはずの収容が、日常になっていく。

名前が消えていく

この記録で象徴的なのは。

リリアンの呼ばれ方だ。

彼女には名前がある。

リリアン・マーリー。

かつての同僚も。

当然それを知っている。

それでも。

収容された彼女は。

次第に。

「8980」と呼ばれるようになる。

研究員ではない。

同僚でもない。

一人の女性でもない。

管理する対象。

実験する対象。

収容する対象。

番号に置き換わった瞬間。

彼女に何をしているのか。

その感覚まで。

少しずつ鈍っていく。

「働ける」ことと「元気になった」こと

収容が長期化すると。

リリアンは明らかに消耗していく。

強いストレス。

抑うつ状態。

食事にも問題が生じ。

実験中に体調を崩して入院するほどになる。

仕事への意欲も失っていく。

ところが。

ある時期。

彼女の生産性が突然上昇する。

以前のように働く。

長時間働く。

休日にも働く。

数字だけを見れば。

改善しているように見える。

だが。

彼女の抑うつ状態は改善していなかった。

身だしなみを整えない。

人とも会わない。

ただ。

働いていた。

ここには。

少し嫌な問いが残る。

仕事ができるようになった人を、私たちは「元気になった」と勘違いしていないだろうか。

そうめん
そうめん

働けてるから大丈夫、ってことじゃないのか。

司書
司書

少なくとも、この記録では違います。

そうめん
そうめん

じゃあ周りは何を見てたんだ?

司書
司書

彼女ではなく、成果を見ていたのでしょう。

助けを求めても、仕組みの中へ戻される

リリアンは。

何もせず従っていたわけではない。

待遇の見直しを求める。

収容への異議を申し立てる。

外部との連絡手段を探す。

自分の状況を変えようとする。

だが。

抵抗すれば。

「非協力的」と見なされる。

怒れば。

「感情的」と判断される。

逃げようとすれば。

「危険だから収容が必要だ」という理由になる。

つまり。

状況から抜け出そうとする行動そのものが、状況を維持する材料へ変換されていく。

これは。

非常に逃げにくい構造だ。

従えば。

問題がないことになる。

抵抗すれば。

問題のある人間になる。

どちらを選んでも。

同じ場所へ戻される。

そして、自分を疑い始める

人間は。

自分一人だけが。

周囲と違う現実を見続けることに強くない。

自分は被害を受けている。

そう訴える。

だが。

周囲から。

考えすぎだ。

あなたにも原因がある。

もっと協力すればいい。

感情をコントロールすべきだ。

そう言われ続ける。

すると。

最初は確信していたことまで。

少しずつ。

分からなくなっていく。

本当に悪いのは自分なのではないか。

その疑問が。

本人の中へ入り込んでしまう。

SCP-8980で起きていることは。

単に一人の悪意だけではない。

記録。

評価。

規則。

処分。

治療。

それらが積み重なり。

ひとつの「正しい物語」を作っていく。

そして。

その物語の中では。

いつも。

リリアンのほうに問題がある。

異常が消えても、終わらなかった

それから長い時間が過ぎる。

2014年。

長く担当していたクリストファー・バーンズ博士が退職する。

翌2015年。

新しい担当者が。

毎年行われていた検査を実施した。

そこで。

不可解な事実が判明する。

リリアンの異常性は、すでに確認できなくなっていた。

いつ消えたのか。

はっきりとは分からない。

それでも。

彼女は収容され続けていた。

そして残っていたのは。

異常ではなかった。

極端な無気力。

電子機器への強い恐怖。

社会生活への深刻な影響。

長年の扱いによって傷ついた、一人の人間だった。

あとから記録を読み直した人たち

新しい担当者は。

彼女が置かれてきた状況に疑問を持つ。

そして倫理委員会による調査が始まった。

過去の文書。

実験。

面談。

処分。

一つずつ。

読み直されていく。

すると。

当時の記録だけを読んでいたときとは。

まったく違う姿が見えてくる。

問題のある収容対象。

扱いにくい研究員。

感情的な女性。

そう記録されていた人物が。

別の角度から読み直せば。

長期間にわたり虐待されていた被害者として浮かび上がる。

倫理委員会の再調査では。

バーンズによる立場の悪用。

文書への虚偽・不正確な記載。

情報の意図的な隠蔽。

異常存在への虐待。

威圧。

薬剤の不適切な使用など。

数多くの問題が認定される。

つまり。

リリアンがおかしかったのではない。

彼女について残されていた記録そのものが、歪められていた。

そうめん
そうめん

記録が残ってても、それを書いた側が歪めてたら意味ないじゃん。

司書
司書

だから、記録は残すだけでは足りないのでしょうね。

そうめん
そうめん

読む側も疑わないといけない。

司書
司書

誰が書いたのか。何が抜け落ちているのか。そして、誰の言葉だけが残されているのか。

記録は、いつも中立とは限らない

SCP-8980には。

深夜資料室という場所にも通じる。

ひとつの重要な問いがある。

記録されていることは、本当に起きたことと同じなのか。

文書には。

必ず書いた人間がいる。

何を書くかを決めた人間がいる。

そして。

何を書かないかを決めた人間もいる。

だから。

整った報告書があるからといって。

そこに真実がすべて残っているとは限らない。

むしろ。

きれいに整理された記録ほど。

そこから消されたものに。

注意しなければならないこともある。

リリアンは。

最後まで番号ではなかった。

問題でもなかった。

研究対象でもなかった。

彼女には。

名前があった。

仕事があった。

家族がいた。

戻りたい生活があった。

それを。

「8980」という一つの番号にしてしまえば。

見えなくなる。

だからこそ。

この記録を読み終えたあとに残るのは。

異常な電子機器の話ではない。

一人の人間について、誰の言葉を信じるのかという問いだ。

そうめん
そうめん

最初に読んだ記録だけなら、「扱いにくいSCP」に見えるんだな。

司書
司書

ええ。

そうめん
そうめん

でも後から全部読むと、見え方が変わる。

司書
司書

記録とは、不思議なものです。

そうめん
そうめん

残ってるから真実なんじゃない。

司書
司書

だから私たちは、読むのでしょう。

司書
司書

書かれていることだけでなく。

司書
司書

書かれなかったことまで。

司書
司書

今夜の記録はここまでです。

司書
司書

また次の資料でお会いしましょう。

資料・出典

SCP-8980「Ergophobia: Without Regards」は、Yossipossi氏によってSCP Foundationで公開されている創作作品です。原典には長期的な心理的・制度的虐待、ハラスメント、強制的な薬剤使用などの重い表現が含まれます。本記事では詳細な描写の一部を省略し、リリアン・マーリーの収容記録と後年の倫理委員会による再調査をもとに、「記録は常に中立なのか」「組織の記録によって一人の人間がどう描かれるのか」という視点から整理・考察しています。SCP-8980およびSCP Foundationに関する記述は創作上の設定です。

原典:SCP-8980 — Ergophobia: Without Regards / Yossipossi(SCP Foundation、CC BY-SA)

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