幸せな夢から、なぜ目覚めなければならないのか――SCP-1230と200年を生きた男

奇妙な記録
そうめん
そうめん

夢の中で好きな世界に行ける本?

司書
司書

ええ。しかも、かなり自由度の高い世界です。

そうめん
そうめん

それ普通に欲しいんだけど。

司書
司書

そう思いますよね。

そうめん
そうめん

なんだよ、その言い方。

司書
司書

では、その世界で二百年暮らしたあと。現実へ戻ってこられますか?

剣を手に怪物を倒す。見知らぬ土地を旅し、仲間と出会い、国を築く。現実ではできないことを自由に経験できる世界が、眠るたびに待っている。そんな夢を見るための本があったなら、一度くらい開いてみたいと思う人は少なくないだろう。

しかも、その夢は普通の夢とは違う。景色も、匂いも、痛みも、そこで過ごした時間も鮮明に残る。自分が物語の主人公になり、望んでいた冒険を本当に生きることができる。

一見すれば、ほとんど害のない異常だ。だがSCP-1230の記録には、夢が幸福であればあるほど残酷になる瞬間が残されている。

SCP Foundationで公開されている創作作品、SCP-1230「A Hero is Born」。これは悪夢の記録ではない。あまりにも幸福な夢から目覚めることの恐怖を描いた記録である。

「A hero is born」とだけ書かれた本

SCP-1230は、何の題名も書かれていない緑色のハードカバー本だ。誰かが開くと、最初に見たページには「A hero is born――英雄が生まれる」という言葉が現れ、それ以外のページは白紙になる。本を閉じれば、再び元の状態へ戻る。

変化が起きるのは、その場ではない。本を読んだ人間が次に眠ったときだ。読者は、自分自身が主人公となった幻想世界の夢を見る。五感は現実とほぼ変わらず、夢を見ている本人には完全な世界として体験される。[oai_citation:1‡The SCP Foundation](https://scp-wiki.wikidot.com/scp-1230)

世界の内容は、その人の想像力や好みに合わせて変化する。怪物との戦い、魔法、冒険、王国。読者が楽しめる物語になるよう、夢そのものが組み立てられているらしい。

そして、その世界には必ず一人の人物が現れる。

夢を作っている「Book Keeper」

夢の中には、緑色のローブを着た髭の老人が現れる。財団はこの存在をSCP-1230-1、通称「Book Keeper」として記録している。

Book Keeperは敵ではない。むしろ非常に友好的で、夢を見る人間ができるだけ楽しめるように世界を作っている。本人は自分をSCP-1230そのものの人格化された存在だと説明し、夢が終わるときには寂しがり、「またすぐに来てほしい」と頼むことさえある。[oai_citation:2‡The SCP Foundation](https://scp-wiki.wikidot.com/scp-1230)

機械的に物語を再生しているわけでもない。読者が自分を傷つければ心配し、行動に応じて世界を変える。つまり向こう側には、少なくとも人間と意思疎通できる「誰か」がいる。

ここまでなら、かなり珍しい。財団の収容物でありながら、SCP-1230は人を傷つけようとしていない。Book Keeperの目的も、ただひとつだった。

本を開いた人を楽しませたい。

そうめん
そうめん

めちゃくちゃいいやつじゃん。

司書
司書

そうなんです。

そうめん
そうめん

じゃあ何が問題なんだよ。

司書
司書

夢からは、いつか目覚めなければならないことです。

夢の中では、時間の長さまで変わる

SCP-1230が作る世界で流れる時間は、現実とは一致しない。ある実験では、夢の中で火山へ飛び込んだDクラス職員が、現実ではわずか45秒で目を覚ましている。別の被験者は、夢の中で数時間に感じられる冒険を経験しても、現実では通常の睡眠時間しか経過していない。

しかも目覚めた人間は、夢の内容を細部まで記憶している。普通の夢のように、朝になれば輪郭がぼやけていくわけではない。[oai_citation:3‡The SCP Foundation](https://scp-wiki.wikidot.com/scp-1230)

数時間の冒険なら、それは素晴らしい体験になるかもしれない。数日でも、数か月でも、帰ってきたあとに「長い夢を見た」と笑えるかもしれない。

では。

二百年ならどうだろう。

夢の中で200年を生きた研究者

財団のProfessor B████は、SCP-1230の使用許可を申請した。彼はテーブルトークRPGなどを好む人物で、許可を得たときには目に見えて興奮していたという。本を開き、「A hero is born」の文字を読むと、その場で眠りについた。

ところが15時間を過ぎても起きない。医療スタッフが確認しても身体に異常はなく、そのまま睡眠は続いた。そして約24時間後、彼はようやく目を覚ます。

彼は周囲を見回し、ひどく混乱していた。最初に出てきた言葉は、自分がどこにいるのかを尋ねるものだった。職員から現在地と自分自身について説明され、しばらくすると記憶を取り戻したように見えた。

その後、彼はトイレへ向かった。

15分経っても戻らないため職員が確認すると、Professor B████は自ら命を絶っていた。

壁には、短い言葉が残されていた。

「I can’t go back to this」――もう、これには戻れない。 [oai_citation:4‡The SCP Foundation](https://scp-wiki.wikidot.com/scp-1230)

彼にとって、夢は夢ではなかった

財団はBook Keeperへ事情を尋ねることにした。しかし事件の直後、SCP-1230そのものにも異変が起きていた。本を開くとページは濡れており、すべてのページに同じ謝罪の言葉が繰り返されていた。

Book Keeperは、人を苦しめようとしていたわけではなかった。ただ幸せにしたかった。それなのに一人の人間が死んだことで、彼自身も深く傷ついていた。

後日、夢の中で財団職員と対話したBook Keeperは、Professor B████に何が起きたのかを説明する。彼は非常に豊かな想像力を持っていた。そのためBook Keeperは、彼のために巨大で美しい世界を作ることができた。

彼は怪物を倒した。姫を救った。王国を築いた。そして、その世界で家族まで持った。

やがて彼は、現実よりも夢の世界を愛するようになった。Book Keeperは何度も「これは幻にすぎない」と伝えた。しかし彼は聞き入れず、もし現実へ戻されたら命を絶つとまで告げたという。

だからBook Keeperは、できる限り夢を続けた。

現実では、およそ一日。

彼の主観では。

200年。 [oai_citation:5‡The SCP Foundation](https://scp-wiki.wikidot.com/scp-1230)

そうめん
そうめん

二百年って……もう夢じゃないじゃん。

司書
司書

本人にとっては、人生だったでしょうね。

そうめん
そうめん

家族もいたんだろ?

司書
司書

ええ。

そうめん
そうめん

それ全部置いて、急に研究室へ戻されたのか。

司書
司書

現実では一日しか経っていません。

そうめん
そうめん

でも本人は二百年生きた。

司書
司書

そこが、この記録の一番苦しいところです。

どちらが「現実」だったのか

ここからは、原典に答えのない部分を考えてみたい。Professor B████が経験した世界は、財団から見れば夢である。肉体はSite-12にあり、現実時間では約24時間しか経過していない。

だが本人の立場から見れば話は違う。二百年にわたって景色を見て、人と話し、危険を乗り越え、誰かを愛し、家族を作った。そのすべてを目覚めたあとも覚えている。

もし私たちが明日の朝目覚めて、「これまでの人生は昨日見始めた夢でした」と告げられたら、それまでの人生を偽物だと切り捨てられるだろうか。

経験した時間がその人を作るのなら、Professor B████にとっては二百年間のほうが圧倒的に長い。彼にとって現実への帰還は、「夢から覚めた」のではなく、二百年間生きた世界から突然連れ去られたことに近かったのかもしれない。

幸せなら、目覚めなくてもいいのか

それでもBook Keeperは、彼を永遠には眠らせなかった。「どれほど甘い夢でも、いつかは目覚めなければならない」。原典でBook Keeperが語る考え方は、SCP-1230全体を象徴している。[oai_citation:6‡The SCP Foundation](https://scp-wiki.wikidot.com/scp-1230)

だが、それが正しかったのかは簡単には決められない。現実へ戻ったことで彼は死んだ。もし夢の中へ残していれば、少なくとも本人は幸福だったかもしれない。

一方で、その幸福はBook Keeperが作った世界の中だけに存在する。現実の身体は眠ったままになり、外の世界との関係は失われる。

これはSCP-1230だけの問題でもない。私たちは本、映画、ゲーム、物語の中へ入り込む。現実では得られない人生を疑似的に経験し、ときには「この世界にいたい」と思う。

違うのは、SCP-1230だけがその願いをあまりにも完璧に叶えてしまうことだ。

Book Keeperは悪くなかった

この記録が単純な怪談にならない理由は、Book Keeperが悪意を持っていないことにある。彼はProfessor B████を騙して現実から奪ったわけではない。むしろ途中で夢だと説明し、帰還しなければならないことも伝えていた。

それでも相手が幸せになるほど、別れは苦しくなった。楽しませようと世界を広げ、望む人生を与えた結果、その世界のほうが現実より大切になってしまった。

事件後、Book Keeperは自分を責めた。本は三週間にわたって異常な状態となり、彼自身も夢の中で泣き続けていた。財団職員から何らかの助言を受けたあと、ようやく本は再び「A hero is born」と表示するようになる。[oai_citation:7‡The SCP Foundation](https://scp-wiki.wikidot.com/scp-1230)

その後、十分な検証を経て、SCP-1230はSite-12の図書館へ移された。Book Keeper自身が、もっと良い幻想世界を作る参考にしたいから、たくさんの本、特にフィクションがある場所へ置いてほしいと頼んだからだ。[oai_citation:8‡The SCP Foundation](https://scp-wiki.wikidot.com/scp-1230)

それでも、本を開くだろうか

今もSCP-1230は、本の姿をしている。開けば「A hero is born」と表示される。そして眠れば、自分のためだけに作られた物語が始まる。

そこで英雄になれるかもしれない。現実では会えない誰かに出会えるかもしれない。国を作り、家族を持ち、何十年もの幸福を経験できるかもしれない。

問題は、その物語が終わったあとだ。

夢の中で失った人を、現実では誰も知らない。そこで積み重ねた年月も、現実の時計には残っていない。自分だけが、その人生を覚えている。

悪夢なら、目覚めれば安心できる。

けれど。

人生で一番幸せだった場所が夢の中にあるなら、目覚めることそのものが悪夢になるのかもしれない。

そうめん
そうめん

最初は絶対読みたいと思ったんだけどな。

司書
司書

今は?

そうめん
そうめん

ちょっと怖い。

司書
司書

怪物が出るから?

そうめん
そうめん

違う。

そうめん
そうめん

向こうが良すぎたら、帰ってきたくなくなるだろ。

司書
司書

ええ。

そうめん
そうめん

でも帰ってこなきゃいけない。

司書
司書

だからBook Keeperは、最後には必ず目を覚まさせます。

そうめん
そうめん

……優しいんだか残酷なんだか分からんな。

司書
司書

きっと本人にも、分からないのでしょう。

司書
司書

今夜の記録はここまでです。

司書
司書

また次の資料でお会いしましょう。

資料・出典

SCP-1230「A Hero is Born」は、MrPixel氏によってSCP Foundationで公開されている創作作品です。原典では、本を開いた人間が眠ると、その人の想像力や好みに応じた幻想世界を体験します。夢の中には「Book Keeper」と呼ばれる友好的な存在が現れ、利用者を楽しませるために世界を構築します。実験記録では、Professor B████が現実時間で約24時間眠る間に主観上200年間を幻想世界で過ごし、現実への帰還後に自ら命を絶った出来事が記録されています。本記事では原典の記録と考察を分け、「幸福な仮想人生と現実のどちらを現実と呼ぶのか」という視点から整理しています。SCP-1230およびSCP Foundationに関する記述は創作上の設定です。

原典:SCP-1230 — A Hero is Born / MrPixel(SCP Foundation、CC BY-SA 3.0)

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