
町のみんなが同じことを忘れてたら、それって確かめようがなくない?

記録が残っていれば、まだ確認できます。

じゃあ、記録まで曖昧だったら?

難しくなりますね。

しかも、みんなが「思い出したくない」って思ってたら?

……今夜の資料は、まさにそんな町の話です。
人が一人、いなくなる。
家族が探す。
友人が覚えている。
学校には名前が残っている。
写真もある。
記録もある。
だから、その人が存在したことまで消えるわけではない。
では。
町そのものが。
「その出来事について触れない」という選択をしたらどうなるだろう。
話さない。
調べない。
思い出さない。
そして何年も経つ。
やがて。
「忘れた」のか。
それとも。
「忘れることにした」のかさえ分からなくなる。
SCP Foundationで公開されている創作作品、SCP-3935「This Thing a Quiet Madness Made」。
その舞台となるのは。
アメリカ・インディアナ州にある、小さな町だ。
サルヴェージ。
そこで過去に起きた出来事を追っていくと。
町の記憶からこぼれ落ちたような。
一人の少年が浮かび上がってくる。
閉鎖された学校
SCP-3935として指定されているのは、サルヴェージの町にある高校だ。
サルヴェージ高校。
すでに閉鎖されたその学校では。
内部構造が本来の建築と一致しない。
存在するはずのない空間。
異常な部屋。
そして。
過去にそこで起きた出来事を思わせる現象が確認される。
財団が調査を進めるにつれて。
単なる「異常な学校」の話では済まなくなっていく。
問題は建物ではない。
この町で、かつて何が起きたのか。
そこへ調査の焦点が移っていく。

廃校の怪談みたいな始まりなんだな。

最初はそう見えます。

でも学校に何かいる、で終わらない。

ええ。学校に残っているものを調べるほど、町の過去へ戻ることになります。
町には、昔から奇妙な出来事があった
調査によって。
サルヴェージでは以前から、不可解な出来事が起きていたことが分かってくる。
学校だけではない。
町の歴史そのものに。
説明しにくい出来事が点在している。
だが。
住民たちは、その異常について積極的に語ろうとしない。
知らない。
覚えていない。
昔のことだ。
そうやって。
出来事は町の日常の下へ押し込まれていく。
もちろん。
人間は忘れる。
何十年も前の出来事なら、記憶が曖昧になることも珍しくない。
だが。
あまりにも多くの人間が。
あまりにも似たように。
同じ場所から目を逸らしている。
そこに、この町の異様さがある。
九人の子どもたち
やがて調査は。
1976年に起きた出来事へ辿り着く。
サルヴェージ高校に通っていた生徒たち。
記録上。
九人の子どもが行方不明になっていた。
大きな出来事だったはずだ。
子どもが九人も消える。
普通なら。
町の歴史に深く刻まれる。
家族は探す。
警察も動く。
住民も覚えている。
だがサルヴェージでは。
その記憶さえ、どこか奇妙だった。
そして財団は。
さらに不自然な事実へ近づいていく。
本当に、九人だったのか。

……ここで10人目が出てくるのか。

ええ。

数え間違いとかじゃなく?

もっと嫌な話です。
「10人目」がいた
調査を進めるうち。
九人とは別に。
もう一人の少年が存在していたことが示される。
エリック。
彼もまた。
あの出来事に関係していた。
ところが。
町の人々の認識から。
彼の存在は抜け落ちている。
九人。
そう記憶されていた集団の外側に。
本来なら数えられるはずだった一人がいる。
十人いたのに。
九人として語られる。
一人だけ。
数から消えている。
人間にとって。
これは死とは少し違う。
死者なら。
「亡くなった人」として覚えられる。
写真を見ることもできる。
思い出を話すこともできる。
だが。
存在そのものを数えられなくなったら。
その人は。
「いなくなった人」にすらなれない。
忘れたのではなく、忘れようとした
SCP-3935の記録を追っていくと。
町の人々の態度には。
単純な記憶喪失だけでは説明しにくいものが見えてくる。
恐ろしいものを見た。
理解できないことが起きた。
だから。
見なかったことにする。
話さない。
触れない。
忘れる。
人間には。
そうやって自分を守ることがある。
すべての記憶と正面から向き合い続けることが。
必ずしもできるとは限らない。
だから。
忘れること自体を責めるのは簡単ではない。
だが。
町全体が同じことをしたら。
個人の防衛だったはずの沈黙が。
一人の人間を世界から消す力に変わる。

本人が忘れられたいって言ったわけじゃないもんな。

ええ。

周りが楽になるために、そいつの存在まで消えていく。

そこが、この記録の嫌なところです。
共同体の記憶は、必ずしも真実ではない
私たちは。
多くの過去を、自分の記憶だけで知っているわけではない。
家族から聞く。
地域の人から聞く。
学校で習う。
本を読む。
記録を見る。
そうやって。
個人では持てない過去を。
共同体全体で保存している。
だが。
共同体が保存できるなら。
共同体は。
忘れることもできる。
誰も話さない。
誰も名前を出さない。
次の世代にも伝えない。
それが何十年も続けば。
やがて。
「語られない過去」は。
「存在しなかった過去」に近づいていく。
真実が変わったわけではない。
起きたことが消えたわけでもない。
それでも。
誰も知らない事実は、社会の中では存在しないのとよく似た状態になる。
「みんなそう言っている」は証拠になるのか
九人だった。
町の人間がそう言う。
昔からそうだった。
誰も10人目を覚えていない。
なら。
九人だったのだろう。
普通なら。
そこで話は終わる。
だがSCP-3935は。
その「みんな」を信用させてくれない。
全員が同じことを言っているからといって。
それが事実とは限らない。
全員が同じものを。
同じように見ないことにしている可能性もある。
人数が多ければ。
記憶が正しくなるわけではない。
多数決で。
過去が決まるわけでもない。

でも自分だけが「10人いた」って覚えてたら、俺のほうが間違ってると思うわ。

普通はそうでしょうね。

全員に違うって言われたら、自信なくなる。

だから、記録が必要になるんです。
記録するということ
人間の記憶は変わる。
薄れる。
都合よく形を変える。
そして時には。
忘れたいものを、本当に忘れてしまう。
だから人間は。
記録を残す。
名前を書く。
写真を撮る。
文章にする。
誰かに伝える。
記録は。
過去そのものではない。
間違うこともある。
欠けることもある。
それでも。
「ここに何かがあった」と、未来へ抵抗することはできる。
誰かが忘れても。
次の誰かが記録を見つける。
そして。
忘れられていた名前を。
もう一度読む。
その瞬間。
完全に消えかけていた人間が。
ほんの少しだけ。
世界へ戻ってくる。
忘れられた人は、存在しなかったことになるのか
答えは。
おそらく、ならない。
誰も覚えていなくても。
誰も名前を呼ばなくても。
その人が生きていた事実まで。
過去から消えるわけではない。
ただ。
私たちがそれを知る方法は。
確実に減っていく。
最後の一人が忘れる。
最後の写真が捨てられる。
最後の記録が失われる。
そのとき。
存在したことと。
存在しなかったことの違いを。
現在にいる人間は確かめられなくなる。
だから。
記録する。
忘れないために。
そして。
忘れられた人を、「最初からいなかった人」にしないために。

資料室っぽい話だな。

そうですね。

記録しても、起きたことを変えられるわけじゃない。

ええ。

でも、なかったことにはさせない。

それで十分な記録もあります。

じゃあ、10人目もここに残るな。

少なくとも、この資料を読んだ人の中には。

今夜の記録はここまでです。

また次の資料でお会いしましょう。
資料・出典
SCP-3935「This Thing a Quiet Madness Made」は、djkaktus氏によってSCP Foundationで公開されている創作作品です。本記事では、原典に描かれるサルヴェージの町、サルヴェージ高校、その土地で繰り返されてきた異常と過去の出来事をもとに、深夜資料室独自の視点から「共同体が共有する記憶」「意図的な忘却」「記録からこぼれ落ちた人間の存在」について考察しています。SCP-3935およびSCP Foundationに関する記述は創作上の設定です。



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