1900年12月26日。
スコットランド西方、荒れた北大西洋に浮かぶフラナン諸島へ、一隻の船が近づいていた。
灯台補給船《ヘスペラス号》。
船には食料や物資とともに、交代勤務に入る灯台守ジョセフ・ムーア(Joseph Moore/ジョセフ・ムーア)が乗っていた。
本来なら、島では灯台守たちが船を迎える準備をしているはずだった。
だが、誰も出てこない。
船から汽笛を鳴らす。
返事はない。
ロケット信号を打ち上げても、島から反応はなかった。
やがてムーアが一人で上陸する。
灯台へ続く道を登り、建物の中へ入る。
火は消えていた。
ベッドは空だった。
そして、島にいるはずの3人の灯台守が全員いなくなっていた。
主任灯台守ジェームズ・デュカット(James Ducat/ジェームズ・デュカット)。
第二助手トーマス・マーシャル(Thomas Marshall/トーマス・マーシャル)。
そして病欠中の職員に代わって勤務していたドナルド・マッカーサー(Donald McArthur/ドナルド・マッカーサー)。
3人全員が、島から姿を消していた。
遺体はない。
助けを求めた形跡もない。
そして3人の遺体は、その後も発見されなかった。
海の真ん中に建てられた灯台
フラナン諸島は、スコットランドのルイス島から西へ離れた場所にある小さな島々だ。
その中で最も大きい島が、アイリーン・モール(Eilean Mòr/アイリーン・モール)。
フラナン諸島灯台は、この島に建てられた。
高さ23メートル。灯火の標高は海面から約101メートル。光は約20海里先まで届く。
運用開始は1899年。
つまり3人が消えたとき、灯台はまだ完成から一年ほどしか経っていなかった。
当時、灯台とルイス島を結ぶ無線通信はなかった。
島で何かが起きても、すぐに本土へ知らせることはできない。
そして1900年12月、その隔絶された環境が、3人の失踪を長いあいだ誰にも気づかせないことになる。
12月15日、灯台の光が消えた
後に重要な情報が判明した。
12月15日の深夜、フラナン諸島付近を通過した船から、灯台の光が見えなかったという報告があった。
灯台で異変が起きた時期を考えるうえで、大きな手掛かりだった。
だが3人の失踪が確認されるのは、12月26日。
それまで灯台は、灯台守のいない状態で海の中に立っていた可能性がある。

そんなに長いあいだ、誰も確認できなかったの?

当時は島との無線通信がありませんでした。しかも補給や交代は船頼みです。異変が起きても、現在のようにすぐ状況を確認できる場所ではなかったんです。
誰もいない灯台
12月26日。
ヘスペラス号がフラナン諸島へ到着した。
通常なら行われるはずの合図も、上陸準備もない。
船から汽笛やサイレンを鳴らし、さらにロケットを打ち上げた。
それでも返事はなかった。
そこでムーアが上陸した。
灯台へ着くと、入口の門と外側の扉は閉じられていた。
中へ入る。
時計は止まっている。
暖炉には何日も火が入っていない。
寝室のベッドは空だった。
だが、建物が荒らされた様子はない。
むしろ残されていたものから分かったのは、12月15日の午前中までは普段どおり仕事が行われていたということだった。
ランプは整備されている。
燃料も補充されている。
レンズと機械も清掃されていた。
鍋や食器も片づけられていた。
仕事を終えた3人が、その日の午後に何らかの理由で灯台を出た。
そして戻ってこなかった。
「食べかけの食事」は残されていなかった
フラナン諸島の事件には、後世に広まった有名な光景がある。
テーブルには食べかけの食事。
床には倒れた椅子。
まるで3人が食事の途中で何かに気づき、突然外へ飛び出したかのようだった――。
しかし、当時の公式記録からその光景は確認できない。
ムーアの報告に残されているのは、むしろ逆だ。
鍋や食器は洗われ、台所は片づけられていた。
日常が突然途中で切断されたというより、午前中の仕事を普通に終えたあと、3人が外へ出たことを示す状態だった。
島の西側だけが壊れていた
ムーアたちは島を捜索した。
東側の上陸地点には、大きな異常はなかった。
ところが西側へ向かうと、景色が変わる。
船を係留するロープなどを保管していた箱がなくなっていた。
中にあったロープの一部は流され、岩場へ散らばっている。
鉄製の手すりは基礎部分から破損。
クレーン周辺の手すりも壊れていた。
救命浮環も消えている。
調査を行った監督官ロバート・ミュアヘッド(Robert Muirhead/ロバート・ミュアヘッド)は、救命浮環を固定していたロープを調べた。
そこには浮環のカバーの一部が残っており、誰かが丁寧に外したというより、強い力で引きちぎられたことを示していた。
さらに驚くのは、その場所の高さだった。
海面から約110フィート。およそ34メートル。

34メートルって……そこまで海水が来たってこと?

少なくとも、その高さにある設備が海の力を受けて破損した痕跡は残っていました。これが、後の調査で海難事故が有力視された大きな理由です。
灯台に残された一着のコート
灯台内部には、もう一つ重要な手掛かりが残っていた。
3人の衣服だ。
マーシャルはシーブーツとオイルスキンを着用していたと考えられた。
デュカットもシーブーツを履き、普段使っていた防水用の上着はなくなっていた。
二人は海辺へ向かうための格好で灯台を出た可能性が高い。
ところが、マッカーサーだけは違った。
彼が普段着ていたコートが、灯台に残されていた。
ムーアによれば、マッカーサーは普段ほかのコートを使っていなかった。
つまり彼は、上着を着る間もなく外へ出た可能性がある。
ここから、一つの筋書きが浮かぶ。
デュカットとマーシャルが、西側の設備を確認するため先に灯台を出た。
マッカーサーは灯台に残っていた。
ところが外で何かが起きる。
彼はそれに気づき、コートを着る暇もなく外へ向かった。
ただし、これは残された状況から考えられる一つの可能性にすぎない。
その瞬間を見た人間は、一人もいない。
公式調査が出した結論
1901年1月8日。
監督官ミュアヘッドは、現地調査をもとに報告書を提出した。
彼が重視したのは、西側上陸地点に残された激しい損傷だった。
流されたロープ。
破壊された手すり。
高い位置にまで達した海水の痕跡。
そして灯台に残された3人の衣服。
ミュアヘッドは、3人が悪天候による損傷を確認したり、設備を守ったりするために灯台を離れ、予想外の大きな波にさらわれたと結論づけた。
現場に残された物証を考えれば、現在でも非常に有力な説明だ。
では、なぜ「謎の失踪事件」になったのか
理由は単純だ。
事故そのものを見た人間が、一人もいない。
遺体も発見されなかった。
最初に誰が外へ出たのか。
マッカーサーは何を見て飛び出したのか。
3人が一度に波にさらわれたのか。
それとも、一人を助けようとして残る者まで巻き込まれたのか。
そこだけが分からない。
この空白に、後世さまざまな物語が入り込んだ。
灯台守同士の殺人。
自殺。
幽霊や海の怪物。
さらには巨大な鳥に連れ去られたという話まで語られるようになった。
だが、それらを裏づける当時の証拠は確認されていない。
「狂った日誌」も後から加わった
事件をさらに有名にしたのが、灯台守の日誌だ。
猛烈な嵐。
泣き出す灯台守。
祈り始めるマッカーサー。
そして最後に、「神はすべての上にある」という不穏な言葉が残されていた――。
非常に印象的な話だ。
しかし、Northern Lighthouse Boardが現在公開している当時の記録から、その内容は確認できない。
公式資料によれば、正式なログの最後の記載は12月13日。
14日の情報と、15日午前9時の気圧・気温・風の状態などは、後でログへ転記するためスレートに記録されていた。
そして15日の午前中には、灯台の通常業務が完了している。
「食べかけの食事」も「倒れた椅子」も「恐怖に満ちた最後の日誌」も取り除く。
すると残るのは、もっと静かな光景だ。
12月15日の朝。
3人は普通に仕事をした。
灯台を整備し、台所を片づけた。
そして午後、いなくなった。

怪談っぽい部分を消すと、かなり話が変わるね。

ええ。残るのは派手な怪異ではありません。仕事を終えた3人が外へ出て、そのまま戻らなかったという記録です。
最後に残ったもの
フラナン諸島灯台守失踪事件には、超常現象を持ち出さなくても成立する説明がある。
海だ。
西側の設備を破壊するほどの波が実際に押し寄せていた。
3人は、その海に巻き込まれた可能性が高い。
それでも、この事件が100年以上語られている理由は、事故の直前だけが記録から抜け落ちているからだ。
1900年12月15日。
灯台では、いつもの仕事が行われていた。
そして次に人が訪れたとき、
3人だけがいなくなっていた。
何が彼らを灯台の外へ出したのか。
その答えを知る人間は、
一人も帰ってこなかった。
出典・参考資料
- Northern Lighthouse Board「Flannan Isles」――1900年当時のヘスペラス号船長の電報、ジョセフ・ムーアの報告、ロバート・ミュアヘッドの1901年1月8日付調査報告
- Northern Lighthouse Board「Flannan Islands」――灯台の沿革、規模、当時の通信環境
- Historic Environment Scotland「Eilean Mor, Flannan Isles Lighthouse」――灯台の歴史的記録・指定資料



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