エンフィールドのポルターガイスト|11歳の少女の口から聞こえた「72歳の男」の声

怪異記録

1977年8月30日。

ロンドン北部、エンフィールド。

グリーン・ストリート284番地にある、ごく普通の公営住宅。

そこでは、母親のペギー・ホジソン(Peggy Hodgson)が4人の子どもを育てていた。

その夜。

11歳のジャネットと、13歳の姉マーガレットが母親を呼んだ。

「ベッドが揺れている」

ペギーが寝室へ向かう。

子どものいたずらだと思った。

ところが今度は、部屋に置かれていたチェストが動いた。

ペギーは元の場所へ押し戻そうとする。

動かない。

まるで、反対側から誰かが押しているようだった。

そして壁から、音がした。

コン。

コン。

コン。

隣の家の壁を叩いているのかもしれない。

近所の人も呼んだ。

それでも原因は分からない。

やがて警察までやって来る。

そこで一人の警察官が、奇妙なものを見る。

誰も触れていない椅子が、床の上を動いた。

ここから約18か月。

グリーン・ストリート284番地では、英国でもっとも有名なポルターガイスト事件の一つが始まる。

最初は「壁を叩く音」だった

異変が始まった頃、起きていたことは比較的単純だった。

壁を叩く音。

家具が動く。

物が勝手に移動する。

だが、それだけでも一家には十分だった。

ペギーは近所の住人を呼び、最終的には警察にも連絡した。

現場を訪れた女性警察官は、椅子が床の上を移動するのを目撃したと証言している。

ただし、警察が「幽霊を確認した」わけではない。

椅子が動いた原因を説明できなかった、という話だ。

それでも、家族だけの証言ではなくなった。

そして数日後。

一家の話は新聞社へ届く。

『デイリー・ミラー』が家へやって来た

英国紙『Daily Mirror(デイリー・ミラー)』の記者とカメラマンが、グリーン・ストリートを訪れた。

最初から全員が信じていたわけではない。

当然、子どものいたずらも疑われた。

ところが取材中にも、不可解なことが起きる。

物が飛ぶ。

音がする。

家具が動く。

9月には、後に事件を調査するモーリス・グロス(Maurice Grosse)と新聞記者たちも、家の中で大きな衝撃音を聞いている。

新聞社は、心霊現象を研究していたSociety for Psychical Research――SPRへ連絡した。

そして、一人の男が家を訪れる。

モーリス・グロス。

彼はプロの「ゴーストハンター」だったわけではない。

発明家として仕事をしてきた人物で、SPRへ加入したばかりだった。

しかしグロスには、この事件へ強く引き寄せられる個人的な理由があった。

前年、彼は娘を事故で亡くしていた。

その後に経験した出来事などから、死後の意識に強い関心を持つようになっていた。

そうめん
そうめん

研究者が来た時点で、もう「幽霊がいる」前提だったの?

司書
司書

少なくともグロスは心霊現象へ強い関心を持っていました。だからこそ、彼が残した記録を読むときには、その立場も頭に置いておく必要があります。

グロスは、この家に通い始めた。

やがてもう一人の研究者、ガイ・ライアン・プレイフェア(Guy Lyon Playfair)も加わる。

二人の調査は、数日では終わらなかった。

長期間にわたる記録が始まった。

家の中を、物が飛び始める

記録された現象は、次第に増えていった。

ビー玉。

レゴ。

クッション。

スリッパ。

段ボール箱。

さまざまな物が、誰も投げていないように見える状態で飛んだ。

ティーポットが激しく揺れる。

スプーンが曲がる。

ドアが開閉する。

壁に掛けられていた物が落ちる。

寝室のカーペットの端が、何度戻しても同じ形にめくれ上がる。

現象は昼夜を問わず起きたとされる。

もちろん、そのすべてをグロスとプレイフェアが直接見たわけではない。

家族だけが目撃したものもある。

研究者一人だけのものもある。

一方で、家族とは無関係の人間が目撃したとされる現象もあった。

近所の住人。

記者。

警察官。

そして、家の外から異変を目撃した人物までいた。

窓の向こうで、少女が上下していた

近所で道路横断の仕事をしていたヘイゼル・ショート(Hazel Short)は、グリーン・ストリート284番地の前で奇妙な光景を見たと証言している。

家の窓へ、本が飛んできた。

そして窓の向こうに、ジャネットが見えた。

少女の身体が、ベッドの上と思われる場所で、水平の姿勢のまま何度も上下していた。

誰かが身体を持ち上げ、投げているように見えたという。

後には、ジャネットがベッドから宙へ飛び上がっているように見える有名な連続写真も撮影された。

この写真は現在でも、エンフィールド事件を象徴する画像として使われる。

しかし、写真だけを見れば別の説明もできる。

少女がベッドから自分で飛び降りただけではないか。

実際、そのように見る懐疑論者も多い。

写真は少女が宙にいる瞬間を写している。

だが、「何かに持ち上げられた瞬間」までは写していない。

だから写真そのものは、浮遊の証拠にはならない。

そして、この事件はここからさらに厄介になる。

中心にいたジャネット自身が、実際に「偽物」を作っていたからだ。

ただ、その話へ行く前に。

1977年12月。

グリーン・ストリートの事件は、それまでとはまったく違う姿を見せ始める。

少女の口から、老人の声が出た

ジャネットの様子が変わった。

最初は、口笛のような音。

犬の鳴き声のような音。

それが次第に、言葉になっていった。

低い。

荒い。

11歳の少女から出ているとは思えない、老人のような声。

声は汚い言葉を吐き、人々を罵った。

そして、自分について語り始める。

名前は、ビル・ウィルキンス(Bill Wilkins)。

かつて、この家に住んでいたという。

研究者たちは質問を始めた。

すると声は、自分の死について語った。

目が見えなくなった。

出血した。

そして階下の椅子で眠り、そのまま死んだ――。

そんな内容だった。

そうめん
そうめん

待って。その家に本当にビル・ウィルキンスって人が住んでたの?

司書
司書

そこが、この事件でもっとも有名になった部分です。調べると、実際にウィルキンスという以前の住人がいました。

本当に「ウィルキンス」は存在した

この家には、ホジソン一家より前にウィルキンス姓の住人がいた。

そして後に家族へ確認すると、その男性は実際に家の中で亡くなっていたとされた。

これだけ聞けば、かなり不気味だ。

11歳の少女が、知らないはずの元住人を名乗る。

そして、その人物が本当に存在していた。

だが、ここで慎重に見る必要がある。

まず、「ビル・ウィルキンス」という情報をジャネットが絶対に知り得なかった、と完全に証明されたわけではない。

近所の住民。

家族の会話。

以前の住人について知る人物。

同じ家に暮らしている以上、通常の経路から情報が伝わる可能性を完全には消せない。

さらに、老人の声そのものにも疑問があった。

11歳の少女が、そんな声を出せるのか

ジャネットの声は、かなり低かった。

録音も残された。

グロスたちは、少女が普通に喉から出している声ではないと考えた。

ジャネットの口を塞いだり、口に水を含ませたりした状態で、声が出るか試す実験まで行われた。

一部の関係者は、それでも声が聞こえたと報告している。

ただし、試験結果全体が明快だったわけではない。

そして懐疑派からは、もっと単純な説明が出た。

ジャネット自身が声を作っている。

喉を使い、通常とは大きく違う低い声を出しているだけではないか。

実際、ジャネットが低い声を出す方法を身につけていたとする見方もある。

つまり、「ビルの声」は非常に印象的だが、それだけで死者の声とは言えない。

それでも調査は続いた。

なぜなら、声とは別の現象が、まだ家の中で起きていたからだ。

膨大な録音記録が残された

グロスとプレイフェアは、長時間にわたって家へ通った。

録音機を置き、現象を記録した。

残された音声資料は膨大だった。

音。

声。

会話。

調査。

夜通しの監視。

この事件が現在まで語られている理由の一つは、記録量そのものが非常に多いことにある。

後から誰かが、「昔こんな幽霊屋敷があったらしい」と語っただけの話ではない。

事件の最中に、記者と研究者が家へ入り続けた。

そして長期間、現場の観察と録音が続けられた。

しかし、記録が多いからこそ、別のものも記録されてしまった。

ジャネットが、スプーンを曲げていた

少女たちは、完全に受け身の「怪異の被害者」ではなかった。

研究者たちは、ジャネットとマーガレットが、自分たちで現象を作ろうとする場面を発見している。

物を投げる。

スプーンを曲げる。

研究者を騙そうとする。

つまり、少なくとも一部は偽装されていた。

これは後世の懐疑論者だけが言い始めた話ではない。

グロスとプレイフェア自身も、少女たちが時折いたずらをしたことを認めている。

ジャネット本人も後年、一部を偽装したことを認めた。

彼女は後年、それは全体のごく一部だったという趣旨の説明をしている。

もちろん、その割合を客観的に確認する方法はない。

ごく一部だったのか。

もっと多かったのか。

あるいは、ほとんどがそうだったのか。

本人の後年の言葉だけでは判断できない。

そうめん
そうめん

じゃあ偽物だったんじゃないの? 本人がやってたんでしょ?

司書
司書

少なくとも「一度も偽装していない」という話ではありません。ただ、それだけでは事件全体が終わらないんです。少女たちが触れていないところで起きたと証言された現象も残っています。

ここが、エンフィールド事件が現在まで決着しない最大の理由だった。

「偽物が混じっている」と「全部偽物」は同じではない

仮にジャネットが一度でも物を投げたなら、次に物が飛んでも疑われる。

当然だ。

老人の声を一度でも自分で出したなら、その後の声も疑われる。

これも当然。

だが問題は、ジャネットが原因とは考えにくいと証言された現象まで存在することだった。

警察官が見た椅子。

記者たちが聞いた音。

家の外にいた人物が見た窓辺の異変。

家族以外の複数の人間が、何らかの異常を目撃したと証言している。

SPR内部でも意見は割れた。

心理学者アニタ・グレゴリー(Anita Gregory)は、調査方法そのものに批判的だった。

グロスとプレイフェアが少女たちに騙され、現象を信じすぎているのではないか。

ジャネットたちは演技を楽しんでいたのではないか。

彼女はそう疑った。

一方、調査に関わった側からは、証言者への聞き取りなどを踏まえ、通常の方法では簡単に処理できない証言も残っているという評価が出ている。

つまり、調査者の間ですら、

「全部本物」

でも、

「全部インチキ」

でもなかった。

なぜ少女たちは偽物を作ったのか

ここからは考察になる。

もし最初から全部がいたずらだったなら、話は単純だ。

注目を集めた子どもたちが、現象を続けるために演技した。

だが、別の可能性もある。

仮に最初のいくつかの現象を、少女たち自身も説明できなかったとする。

家に記者が来る。

研究者が来る。

カメラが来る。

大人たちが毎日、「今日は何が起きた?」と尋ねる。

何も起きない日がある。

すると子どもは、期待されている「怪異」を自分で再現してしまうかもしれない。

本物の現象があったとしても、その後に偽物が混ざることはあり得る。

逆に、最初から全部が偽物だったとしても、長期間にわたって大勢の大人が関われば、偶然の物音や家具の動きまで「怪異」と解釈される可能性がある。

つまり、一度物語が始まれば、本物と偽物の境界そのものが壊れていく。

エンフィールドでは、まさにそれが起きたようにも見える。

母親は、家から逃げなかった

奇妙なのは、ペギー・ホジソンが家を完全に捨てなかったことだ。

4人の子どもを抱えた母親。

裕福な家庭でもない。

簡単に引っ越せる状況ではなかった。

家の中で物が飛ぶ。

音がする。

娘の声が変わる。

研究者。

記者。

見物人。

それでも、そこは家族の生活する場所だった。

事件を映画のような「幽霊屋敷」として見ると忘れやすいが、グリーン・ストリート284番地では、怪異が起きているとされる横で、普通の家庭生活も続いていた。

学校へ行く。

食事をする。

寝る。

そして夜になると、また音がする。

その生活が、長期間続いた。

そして現象は、静かになっていった

1978年に入ると、現象は次第に減少していく。

突然、すべての謎が解決したわけではない。

「ビル」が成仏したと確認されたわけでもない。

犯人が見つかったわけでもない。

家の構造から、すべての音の原因が発見されたわけでもない。

ただ、終わっていった。

ポルターガイストと呼ばれる事例では、このような終わり方は珍しくない。

激しい現象が一定期間続き、やがて理由もなく弱まる。

エンフィールドも、そうだった。

グロスとプレイフェアによる長期調査は、大量の記録を残した。

だが、「結局何だったのか」という答えは残さなかった。

ここから考察――エンフィールドで、本当に起きたこと

まず、かなり確実に言えることがある。

ホジソン家で騒動が起きたこと自体は事実だ。

新聞社が取材した。

警察が訪れた。

SPRの研究者が長期間調査した。

大量の録音が残った。

複数の第三者が、奇妙な出来事を目撃したと証言した。

そして、少女たちが一部を偽装したことも事実として扱うべきだ。

問題は、その二つが同時に存在していることだ。

「偽装があった」

だから、

「すべて偽装だった」。

これは必ずしも成立しない。

だが、

「説明できない証言が残った」

だから、

「幽霊がいた」。

これも成立しない。

エンフィールド事件は、その間にある。

ビル・ウィルキンスは「幽霊」だったのか

この事件でもっとも物語らしい部分は、やはり老人の声だろう。

以前の住人。

家の中で死亡。

少女の口から、その人物を思わせる声が出る。

あまりにも出来すぎている。

だからこそ、疑う必要もある。

ジャネットがどこかで名前を聞いた可能性。

近所の情報。

家族の会話。

新聞や研究者とのやり取り。

そして、少女自身が特殊な声を出せた可能性。

どれも完全には排除できない。

だから、「死んだ元住人が少女へ憑依した」と断定できる記録ではない。

むしろ不思議なのは、もっと地味な部分だ。

誰も触れていないと証言された家具。

外部の人間が目撃した物体の移動。

家族以外の人間が聞いた音。

それらの一つ一つについて、現在から完全な再検証をすることはできない。

だから、この家には二つの物語が残った

一つは、幽霊の物語。

11歳の少女へ、死んだ老人が取りついた。

家具を動かし、物を投げ、少女を宙へ持ち上げた。

もう一つは、人間の物語。

家庭の中で始まった奇妙な出来事に、子どものいたずら。

母親の不安。

研究者の信念。

新聞の注目。

近所の噂。

それらが重なり、巨大な「ポルターガイスト事件」を作り上げた。

現在残されている資料だけから、どちらか一方へ完全に決めることはできない。

司書
司書

エンフィールドでは、偽物が見つかっています。だから疑う理由は十分にあります。

そうめん
そうめん

でも、偽物だって分かったやつだけで全部説明できたわけでもない。

司書
司書

ええ。だから今も残っているんです。「幽霊がいた証拠」ではなく、「最後まで整理しきれなかった記録」として。

1977年8月。

一人の母親が、子どもたちの寝室へ入った。

家具が動いていた。

壁から音がした。

警察が来た。

新聞記者が来た。

研究者が来た。

そして、11歳の少女が、老人の声で話し始めた。

少女は、嘘もついた。

それは分かっている。

だが、あの家を訪れた全員が、同じ嘘をついたわけではない。

グリーン・ストリート284番地で、何かが起きていた。

問題は、その「何か」が、子どもたちだったのか。

大人たちの思い込みだったのか。

説明できなかった物理現象だったのか。

それとも――

本当に、家の中にもう一人、誰かがいたのか。

出典・参考資料

  • Society for Psychical Research(SPR)公開資料・アーカイブ
  • SPR Psi Encyclopedia ― The Enfield Poltergeist
  • SPR Psi Encyclopedia ― Maurice Grosse
  • SPR関連資料 ― Guy Lyon Playfair / Anita Gregory
  • 当時の報道記録および事件関係者への後年のインタビュー

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